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【感想文】善蔵を思う/太宰治

『思い出したくないことなど』

本書『善蔵を思う』読後の乃公、愚にもつかぬ雑感以下に編み出したり。

▼あらすじ

とある会合に出席した男が自身のスピーチで鬼のようにスベって大恥をかくという、いわゆる「鬼スベリ小説」。

▼読書感想文

本書に限らず、本書所収の短編集『きりぎりす』における作品全般の特徴としては、

「主人公がある状況に置かれる」→「その状況の是非を『卑屈な精神』に基づいてウダウダと思考する」→「その結果を踏まえて行動する」→「失敗に終わる」→「失敗から何かしらの意義or価値を強引に導き出す」→ END

といった流れで進行する。これは『畜犬談』『鴎』『姥捨て』なんかも上記に該当しており、著者・太宰治は一定のフォーマットに従って執筆したものと思われる。だからなに?という話かもしれないが、もし「俺はこの時期の太宰治っぽい小説を書きたいんだ!」という方がいたとすれば、上記の構成に加えて、文章全体に句読点を多めに振って書いたらそれっぽい小説が完成するはずなのでやってみたらいいと思う。がしかし、太宰治は文章がやたら上手いので完コピは難しいかもしれない。

▼余談 ~ 思い出したくないことなど ~

本書の語り手の男は、スピーチを頼まれたはいいがどうせ僕なんて……と内気になるが結局、えーい!出たとこ勝負でいてこましたれー!とイテマエ精神でスピーチしたら鬼スベリしちゃった、っていう話なんだけどこういった失敗ってホントによくあって、読者の中にもこの「スピーチ失敗あるある」と同様の経験をした者は割と多いのではないかと思う。で、それは私。私がそう。結婚式披露宴に招待された際に新郎の友人代表としてスピーチした私ときたら鬼のようにスベった。スピーチ直前の我が心境を振り返ってみれば、これやはり本書の男と同様、「焦燥」の権化となった私は卑屈→鼓舞→やっぱり不安→絶望→自棄といった精神状態に陥ってしまった。で、私のスピーチを振り返ってみると、

「世間ではよく『勝ち組』『負け組』なんて言ったりするけど果たして何をもって勝ちなのか、負けなのか、結婚で勝敗が決まるのか?結婚すれば勝ち組か?独身者は敗北者か?そんなもの僕はくだらないと思いますね。いやべつに結婚がくだらないと言ってるわけじゃなくて、他人と比較するから勝ち・負けの概念が生じる、これがくだらないと言ってるんですが、いやなにも僕はあなた方に対し、競争するな!と言ってるのでもなく、むしろ競争は自己の成長を促すためには不可欠な要素だと言ってるんだけど、勝ち負けという是非を他者に求めるなっていうか他者を通じた学びの場として当事者が目的達成の糧を得るべくまっとうに歩めばいいだけで人生におけるオマエらよがりのオマエらのタイミングでオマエら以外の他人と比較して得られるオマエらの満足は一場のまやかしに過ぎぬ。この感じ、伝わったでしょうか、オマエらに。この披露宴会場には非常に多くの方がいらっしゃいますが、すべからくそういった勝敗至上主義者になってほしくない、本日それをあなた方に申し上げるべく吾輩は今ここに参上したのです。負け組代表の私からは以上。あと新郎はイイヤツですよ。お幸せに。」

この要領を得ないスピーチは誰からも共感されることなく私は自己嫌悪に陥ったが、一方で本書の場合は、スピーチに失敗したあくる日、騙されて購入した低俗だと思っていたバラが実は非常に価値のあるものだった、という事実を友人から知らされて、語り手の男は感謝とともに他人だけでなく自分自身をもう少し信じてみてもいいかなという様子の窺える前向きな締めくくりとなっている。

といったことを考えながら、本書は一見、だからなんなんだという話だが私にとって身につまされる話でもある。

以上

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