【感想文】ゴリオ爺さん/バルザック
『プチブルインテリゲンツィアのケーススタディ4選』
昨今、日本人の間で横行する「マウンティング」という独善的な自己正当化を行う人間こそ、本書に登場するプチブルインテリの所作に共感するに違いない。
その様が垣間見えるシーンについて以下、解説する。 .
<<課長はまっすぐ彼のそばへ行くと、まず最初にその頭に思いきり強烈な平手打ちをくらわせ、そのためかつらが飛んで、コランの頭の恐るべき醜さをむきだしにした。(新潮文庫,P.350)>>
という、これはヴォートラン逮捕劇の一幕である。
彼は世間一般を俯瞰的に見据え、ヴィクトリーヌの持参金目当ての殺害等、人生というものをどこかしら虚無的な感覚で超然とした態度で捉えているにも関わらず、そうした彼が所詮カツラであったというのは一見すると馬鹿馬鹿しい様であるが、それは同時に彼自身が虚無に満ちた道化であったことを示した描写であるとも言える。
<<美徳に忠誠を守るということは、崇高な殉教だ(新潮文庫,P.199)>>
これはつまり、社会における美徳なんてものは表面上のメッキに過ぎず、実状は欺瞞に満ちた金銭的奴隷に成り下がっているのだということを、「崇高な殉教」として当時のブルジョワジーにおける階級闘争になぞらえているのである。
また、著者バルザックは女性の性質に関する洞察が秀逸で、例えば、
<<可能なものによって不可能なものまで証明し、期待によって事実をもくつがえすというのが、女性の本性のなかにあるひとつの特質である。(同,P.260)>>
という傲慢を表した逆説的なフレーズ然り、さらに同様の例として、
<<女というのは、たとえどんなに極端な嘘をついているときでも、常に真実なのである。(同,P.273)>>
という一文も、滑稽と恐怖の紙一重の部分を突いている。
以上に挙げた様な格言が作中に多数見られ、こうした皮肉に満ちた格言を読むたび、私の脳裏にゴリオ爺さんの姿が浮かび上がってくる。それはこうした格言の対角線上に、素直で献身的なゴリオ爺さんの愛情が、コントラストとして常に配置されているからなのではないかと私は思う。
といったことを考えながら、私は昨今の外出自粛という状況に堪えきれず、パチンコ屋に行ってひとしきり遊んで、大満足で店を出て駐輪場へ向かい、私の乗って来た自転車を見たところ、タイヤには数十本の釘が突き刺さっており、サドルは引っこ抜かれていて、代わりにブロッコリーが差し込まれていたので歩いて帰った。
以上
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