苦手意識と向き合う
人それぞれ何に対して不快感を覚えるかは様々ですが、私は学生時代から以下のような状況に出会った時に、まるで土足で家に入られたかのような生理的な不快感を覚えます。
と、その前に。
昔は不快感を覚える自分を抑えてやり過ごしていましたが、身体にも心にも精神にも悪影響だということを身を持って経験したので、今は何が嫌なのかしっかりと目を見開いて直視するように心がけています。
下品な人、対象が何であってもがっつく人を見るとゾッとする。。。などと今までは状況に合わせて自分が何が苦手かバラバラに捉えつつ目を背けずにやってきたつもりでしたが、最近その生理的な不快感がキャパを超えてしまい「不感」になるという現象を来たしたので、いよいよ大問題となりました。
※私は、イヤなことに対して感覚を麻痺させるクセがあります。麻痺させると私の場合、身体も麻痺してきます。
先日鏑射寺で瞑想後、やっと私が何に不快感を覚えているのか表してくれる一言が見つかりました。
それは「卑しさ」。
「卑しさ」とは、
ー品性に欠けている様
ー金品に対して意地汚い様
ー欲望をむき出してガツガツしている様
ー損得勘定だけで動く様
ー人やお金に執着し過ぎている様
ー他人を裏で陥れようと企んだり、出し抜こうとする様
などなど。。。
かと言って、運動部でお腹が空いていてがっつくとか、お金が無いとかが苦手なワケではない。
そこで我がパートナーでありガイドであるSaoriに一連の思いを相談してみると、
「要約すると、欲望に任せて自分の我を野放しにしてる人が嫌なんやろやな。」との返答。
“欲望に任せて我を野放しにする”というのはLokoのセッションではお馴染みの、【自分で自分の手綱を握りましょう】の話です。
あなたが暴れ馬だとして、自分がその騎手となり特徴を捉えて手綱を握らないと、状況は改善しませんよというお話。
なるほど!そういうことか。
ふわっとしていた部分の輪郭がはっきりました。
↑↑
これ、とっても大事です。自分で向き合っていてもふわっとしてる場合は、相談した方が解決が早い!
それに輪郭がはっきりした方が向き合いやすい。
※よく起こる反対例もご紹介します。
「卑しい人が苦手」輪郭の言葉だけ決めて、意外と詳細がわかっていない場合があります。そういった場合は、ふんわりしすぎて、どういった状況や人に注意していけばいいのかわかりにくいので、自分がいったい何を卑しいと捉えているのかを探っていく必要があります。
卑しさの背景には、「嫉妬心」や「欲求不満」があるそうです。
「嫉妬」も自身の欲求が満たされていない状況から起こることが多いので、ここでは「欲求不満」として一括りにしたいと思います。
満たされずに枯渇していると、貪りが起こります。
不満から、人の悪口を言うようになったり、自己中心的な考え方をしたりするようになります。
つまり、誰かに、何かに、満たしてもらおうとすると、卑しさが出やすいということ。
手綱を握ることを忘れてしまうということ。
やはり自分の欲求&不満については、自らよぉ〜く把握しておき、なるべく自分で何とかしようと努めるのがベストです。
かくいう私は、特に口が卑しい。疲れている時に、帰宅途中にスーパーに寄ると決まって、すぐに食べられそうなものを探して、人気のない道を選んで食べ歩きをしてしまう。(一応恥じらいはある。)
お腹が空いているかというと、そうではない。
とにかく手っ取り早く満たしたいのだ。
鏑射寺での瞑想帰りに、ランチの材料のためにパン屋に寄った時もそうだ。
私は喉が渇いているワケでもないのに、美味しいアイスコーヒーが飲みたいと、つぶやき声よりはやや大きめの声でつぶやいた。
パン屋さんの香りにつられて、「なんかわからんけど、とにかくスカッとしたい!」という欲望が暴れ出したからだ。
そこで早速はっ!とした。
これも卑しさやな。と。
別にそこまでガツガツしていたワケでもないし、誰に迷惑をかけたワケでもない。
私は自分を特段卑しい人間だとは思わない。
けれども、こういうことは、上記のような捉え方では、いつまでも自分の中にある卑しさには気づけない。
まずは小さいことからでも良いので、積極的に探す。
すると、そんな自分を笑えたりする。
すると、笑えた分だけ次にチャレンジしやすくなったり、他人への嫌悪感も緩和されたりする。
まず、その時のアイスコーヒーは必要でないことに気づけるよい機会となり、気づいてしまえば、手に入れられなかったことに対する不満も生まれない。
コーヒーを欲しがる暴れ馬の手綱を握ることができました。
必要でないのにクセでやっていることは、やめたほうがいい。
すぐにやめられないから、クセなのであるから、一度や二度やめることを失敗したからといって、諦めるべからず。
自分の卑しさにも目を向けた上で、人から卑しさを向けられることが多々ある場合は、そうすることを相手に許してしまうような言動を自分がとっていないかに目を向けてみる。
自分の言動が相手の行動を助長させていないかに目を向けてみる。
〇〇さんが悪い、と一方方向になるんではなく、自分に矢印を向けてみる。
すると、そういった相手とは距離を置くべきなのか、意思表示をすべきなのか、何か自分にやめるべき言動があるのか。。。といった解決策が見えてきます。
皆様も、自分がどういう時に制御不能になり、卑しい己の片鱗を見るか、または卑しさを向けられる原因がどこにあるのか、一度思い返してみると面白い発見があるかもしれませんよ。
愛をこめて
たまひろ