訃報。これから
お別れ会の前日、別の知人の訃報を知りました。
一度電話でお話しただけなのすが、私にとってとても大切な出会いの種を作ってくれた人、大切な役割を担ってくれた人が今年の初めにこの世を旅立っていたことを知りました。
note name「いのちの環」で乳がんステージ4との付き合いの中での気づきを綴っていた、はるかさんです。
今から9年前にオーストラリアで出会った友人が、facebookを通して私の乳がん再発を知り、私と同じくステージ4でホリスティックな治療を実践している彼女とちょうど2年前に繋げてくれたのでした。
メッセージをするとすぐに電話がかかってきて、私が診察を受けるか悩んでいた京都のクリニックに関する話や、これまで試してきた様々な治療法などを参考にと教えてくれました。
メールでも済ませられたのに、すぐに電話をくれる人柄と、うららかな声であたたかい人だなと感じたことを覚えています。
それからは彼女の近況や不安、気づきを通しての思いの変化などをnoteを通して知り、共感する部分が多かったぶん、色々と感じながら読ませてもらっていました。
2022年1月ごろから私の体調は酷くなり、少し上向きになった8月、彼女も何かを乗り越えた様子で、メッセージをしようかと何度か思いながらも月日は流れていきました。
自分と向きあう時間を大切にされてるんだろう、と次の投稿を待っていました。
そして前記事にあった会社の社長のお別れ会の前夜になんとなく、だけどとても気になって検索してみたのです。
そこで、はるかさんが今年の初めに旅立ったことを知りました。
ちょうど私の体調が急激に悪化して入院し、退院を迎えた頃です。
たくさんの愛を受け取ることを選び、
たくさんの愛を感じて、幸せだと言いながら旅立ったことを知りました。
社長の時も同じで、訃報を知ると初めにショック、それから何が起きているのか頭が理解しようと働き、それと同時に胸がギュッと締め付けられるような感覚がありました。
けれどその人を思い浮かべて感覚に集中すると、
その方が何を大切にどう生きてきたのか、
その人が自分の人生にどう関わり、何を教えてくれたかが徐々に胸で温かみとして拡がっていきます。
私はその人達の人生にどう関わったか。
見返してみると、私はまだまだ与えてもらうことの方が多いようです。
与えてもらったぶんお返しをしなきゃ、与えられる人間にならなきゃと以前は自分へのダメ出しをしていましたが、
与えてもらったことに気づき、感謝を色んな形で表現できることも、もちろん等しく素晴らしく、これは私の大切なクオリティで人間関係の輪の中で、一種の役目でもあると今は捉えることができるようになりました。
過去・現在・未来を通して、誰かとの関わりが自分をつくっている。
誰かの命の一部が自分を形成する一部となっている。
はるかさんのnote nameの通り、人のいのちは繋がって環になっていることを、今ひしひしと感じています。
いつか私の旅立ちの番が来た時、
たまひろとってこういう人だったよねとそれぞれの人が感じるように感じることが私がその方々とどう関わったかの結果なんだと思います。
その事実は変わりません。
で、す、が!
癌のおかげで私には゛死ぬのはまだまだ先のことで、なんとなく生きられる゛という漠然とした概念はありません。
体調が急変した時のように、その時は突然で待ったなしです。
来週かもしれないし、奇跡を起こすことができたら何十年後かもしれない。
この命に意味を持って大切に生きる為に、
後悔しないためにできる行動とは。。。
【それぞれの命とどう関わりたいか。】
なおざりにしない。
おざなりにしない。
おざなりな関係続けてませんか?
なおざりにしている関係ありませんか?
あなたにできることがあるとすれば。。。
いのちの学び、愛の学びをくださったはるかさん、そして社長のお二人に深く感謝します。
ありがとうございます。
愛をこめて
たまひろ