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「頑固」じゃなくて「信念」

毎日のように、過去の感情の大きな消化が起こる中、まだまだ奥深い所に根深い物が残っているのを感じる。
今日もあきらめずに、辛抱強く、感情が出るまで内観だ。

セッションのお題は「本当に幸せになることへの抵抗」

昨日、水が喉を通ったおかげで安心感が生まれて丹田に意識を集中することができた。
さてここからは、今感じている首や喉周辺の詰まり、張りを積極的に感じていく。

不快感を感じているとすぐに、強烈な痛みが始まった。
めちゃめちゃ痛い。まるで首がこむら返りを起こしているかのような痛み。
呼吸で痛みを鎮めたりしようとせず、ただただ強烈な痛みと共にいる。
痛い~っ!!つらい~っ!!を感じ続ける。
痛すぎて感情が出てこなくて、あきらめそうになるが、私の身体は緊急事態。
ここまで身体が悲鳴をあげているんだから、声を聞いてあげないわけにはいかない。なんてったって私の身体なんだから。
今は感情を思考で押さえない。解決しようとしない。ただ聞いてあげるのだと自分に誓う。

15分ほど、ただひたすら痛みを感じていると、ふと「頑固」というキーワードが気になり始めた。

4日目に訪れた鍼灸院では、自分の性格をどう捉えていますか?という面白い質問を受けて私はこう答えた。
「ポジティブで柔軟だけど頑固
トラブルに対処する柔軟な考え方を持っている反面、自分がこうだ!と思ったことについては突き進むことが多い。頑固なんだと思う。でも、自分で選択したことは自分の責任なので納得できる。
人のせいではない、自分の責任だという考えの為に、若干自分を責めやすいところがあるが、ポジティブなのでクヨクヨはしない。その為、感情を無視しやすいクセがある。」

一つ前の記事、”頑固になっていないか”はまさに、治療法に関することで世間一般とは違う選択をする自分が間違っていないかという不安から出た言葉なのです。

前回の記事より

自分で答えておいて何ですが、「頑固」って言葉、なんか不快。
そういえば、家族や友人から「頑固」だと言われると、わがままだと言われているようで、イヤだった。
ここぞという場で自分の意見を発すると、周囲から「頑固」のレッテルを貼られることが多かった為、納得できないまま自分の悪い性格として飲み込んでしまっていた。

そして相手の意向に沿えない自分をとても後ろめたく思い、「罪悪感」を背負って生きてきた。

小さなことには幸せを感じる毎日だが、なるほどこの罪悪感、本当に幸せになることへの抵抗になっているはず。

そうだ、この何とも重い感じ、イヤなのだ。
痛みと共にありながら、特大のイヤ~っ!!を感じる。
イヤ~っ!が落ち着いてきたら、ふと思った。
え?私って本当に頑固なのかな?
頑固って何?

かたくなで、なかなか自分の態度や考えを改めようとしないこと。また、そのさま。
自分の意見を曲げない。
協調性がない。
自分の誤りを認めない。
新しいものを受け入れられない。

頑固とは。

私は柔軟なので、人の意見や新しいアイディアを聞くことが大好きだし、自分が間違っている時は素直に謝る。協調性もある。

自分で答えが決まっていたとしても、とりあえずは聞いてみる。
それをオプションとして色々考慮、吟味した上で、何が自分にとってベストかを選択する。

改めて見直してみたら、全然頑固ちゃうやん。
自分のことを自分で決めてるって、悪くないやん。
長い暗示から目が覚めた。そんな気分。

「頑固」って誰にとっての頑固なんだろう。

私の選択を尊重できない人にとっては、私は「頑固」ということになる。
自分が思う正解を押し付けてくる人にとって、違った選択をする私は、「いうことを聞かない頑固者」ということになる。

私は、いうことを聞かないワガママな頑固者でなく、何が自分にとってベストかを知っている信念を持った人なのです!

今まで長い間、自分を責め続けてごめんなさい。と自分に謝る。
こんなにイヤだったんだ。こんなに痛かったんだ。

長い間かかっていた暗示から目が覚めても、これを機に一生信念を貫けるかっていうと、残念ながらそう簡単ではない。

時を変え、場所を変え、対象を変え、自分の信念を問われる機会はこれからも幾度となく訪れるはず。

自分の信念を貫くことで、世間から見放されるのではないかという恐れも感じるし、不安にもなるし、決心が揺らぐこともある。

でもその時に、この内観を通して経験したこと、自分の中の真実に戻る感覚を覚えておきたい。

そして、本当に幸せであることを自分に許す道を、私は一歩前に進みだした。

答えはいつも自分の内側にあるby Holistic Salon Loko


つぶやき内観たま太郎。





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