学習権の保障ってどういうことなの??
最近「学習権の保障」の観点から悩むことが増えてきています。
学習権をざっくり説明すると、子供たちが教育を受ける権利、学ぶ権利のことです。
それとは別に、日本には保護者に子供に教育を受けさせる義務が存在しています。
そんな「学習権」ですが、権利なので、もちろん強制されるものではありません。
なので、僕の中で寝ている子は自ら学習権を放棄しているのだから、強要する必要はないんじゃないかと思う僕もいます。
そう思う一方で、こんな僕もいます。
どうしても学びに向かうことができない状態ならまだしもほんの少しの声かけで、学ぶことができる状態の子に声かけをしないのは、彼らの学習権を保障していないのではないか。
公立学校は、教員の学びに向かわせる働きかけがセットになって、学習権を保障しているのではないかと考える自分もいます。
いや、学びたいことを学べばいいんじゃないと思われるかもしれないけど、学びたくないなら文字を学ばなくても本当にいいんでしょうか?
それって今後、学ぶ素地も無くすことになるのではないでしょうか。
また、個人の権利だと学ぶことを放棄しててもいいんだけど、集団で学ぶ際に周りの学びを妨げるのはどうでしょうか。
学びを妨げるのは、何も妨害行動だけじゃありません。
目の前で勉強しようとしている時に、目の前で練り消しを作られていたらどう思いますか。
僕は気にならないし、やりたいならやればいいと思うんですよね。
実際、子供の中にも練り消しやりたくなるからやめて欲しいみたいな声があって、やりたいならやればいいじゃん。なんて思ったんですけどこんな声もありました。
勉強したい時に、目の前で違うことをされるとそこに目がいってしまうのでやめて欲しい。
なるほど。
試しにそう言ってる子を一番前の座席にしてみたんですが、ソーシャルディスタンスを保つ関係上、希望者(クラスの半数)を前にするのは無理でした。
また、集団として学び合う集団を目指していこうとすると、集団に対してのアプローチが求められます。
集団として高め合うために、どんなフィードバックを周囲にするか、自分ためにも周囲のためにも動くのか。
楽な方に走りたくなる人間だからこそ、集団として陥れる関係じゃない高め合う関係にするためにどう振る舞うのか。
僕はどう関わっていけばいいのか。
悩みは尽きません。