「叱る」より「伝える」こと 〜教員一年目の僕なりの解釈〜

「叱る」という言葉のイメージがあまりよくなかったです。

感情に任せて対象に感情を伝えることを「怒る」とするのであれば、対象に向けて事実を伝えることを「叱る」と考えることもできるかもしれないし

対象の成長のために必要な声かけの中で、ポジティブな要素が多いものを「褒める」、ネガティブな要素が多いものを「叱る」とも考えることができるます。

これはあくまでも僕の解釈だし、他の人は僕の解釈と異なると思いますわ

これだけでも「叱る」の持つイメージが多様なことが推測できるます。

ただ、ここで「叱る」の定義を議論したいわけではありません。

この多様なイメージを持つ「叱る」という行為に対して、僕はネガティブなイメージが強かったです。

僕の中で、「叱る」という言葉からイメージする具体的な行為は、大きな声で怒鳴りつけることでした。

小さな声だからこそできる「叱る」もあると知っていたし、別にその行為が悪いとは思っていませんでした。

ただ、どこか「叱る=やりたくないことをやらせる」みたいに頭の中で繋がっている自分がいました。

そうなると、自分のやりたくないことを対象にやらせるために使う「叱る」という行為を僕はとてもやりたがりませんでした。

ただ小学校一年生の担任になってから色々と考えることがありました。

叱るとは何か。
本当にやりたくないことをやらせなくていいのか。
本当にやりたいだけに従わせていいのか。
今の世の中で基準とされている価値基準を伝えなくていいのか。

ものすごく悩み、考えました。

たぶん一年生の担任じゃなかったらこんなに考えなかったと思います。

考えた結果、僕なりにたどり着いた答えは、「叱る」ではなくて、「伝える」でした。

いや、たぶんやってることは「叱る」と同じなんだと思うだけど、俺なりに納得した形が、僕が思う「伝える」という行為だったんだと思います。

「僕はこう思うよ。」
「僕からはこう見えるよ。」
「こんな意味があると僕は思うよ。」
「それはいけないと僕は思う。」
「それで〇〇さんが、困っているからやめた方がいいと思う」
「知らないうちに頑張りたい友達の邪魔をしてるからは、それはやめて。」

こんな感じで、僕なりに解釈をしながら少しずつ進んでいます。

まあ、また1ヶ月くらいしたら変わってるかもしれませんけど、僕の最近の考え事でした。


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小泉しのぶ(小学校教諭×起業家→教育委員会×起業家 )
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