見出し画像

教員一年目が一学期を振り返る〜六月編〜

今日は六月を振り返ります。

本格的に学校が再開されるといこともあって、授業後除菌や、トイレで間隔を保つためのテープなど、学校がクラスターにならないようにできることを一教員なりにみんなで役割分担しながら行っていました。

授業での学び合いや教え合いは極力避け、交わらないようにし、手洗いうがい、検温を徹底していました。

そんな中で、個人的に一番ハマった授業は、ひらがなの学習でした、

ひらがな練習の際に、文字を見てその特徴を子供達にあげてもらい、文字の形を確認する。

次にひらがなを何個か練習してもらい、ある程度終わった人が「◯」から始まる言葉を探そうというワークを取り入れ、空いてるスペースに思いついた文字を書いてもらった。

言葉が出てこなくなった人は、教科書や本を使って言葉を探したり、距離を保ちながら、人のプリントや机に触らないことを条件に、他の人のアイデアを真似っこしていいとすると、止まらない止まらない!!

いつも静かな子が、

「おうちで、これまで習った文字でもやってみていい?」

と言ってきたりもした。

また、文字への興味を持てない子には、プリントにある絵を上手に塗り絵する事で、鉛筆を使う練習をしてもらいました。

各々がやりたいことで自分なりの方法で高められているあの時間は見ていて心地よかったし、子供達も満足気でした。
そして、分散登校が終わり、全員がクラスに集ました。

今まで見ていた数の倍の人数を見るということもあって、一人一人のことを見ることが難しくなっていきました。

ただ、なんとか自分の力で回し切ることができていました。

そして、学校再開と同時に給食もスタートしました。

一年生は給食自体が初めてということも、一年生の先生達で恐怖で震えていました。

新型コロナウイルスの影響もあり、これまで通りにはいかなくなっていました。

一度盛り付けられた料理は減らすことができないし、おかわりも食べる前のみ可能で、食べられない人は無条件で残すしかない。

他にも細かいルールがあり、教員は神経を擦り減らしながら対応に当たっています。

給食開始当日は朝から恐怖で、怯えながら学校に向かいました。

結果としては、他の先生にヘルプに入ってもらうことで、なんとか乗り切れましたが、これが毎日続くとなると不安で仕方ありませんでした。

箸が持てない子がいるのが学校のリアルです。

また、給食以外にもこれまで子供の主体性を活かして積極的に行われていた子供によるお手伝いも難しいのが現状です。

複数人が同じものを触るのは良くないので、配り物も気軽にお願いできません。

学校が再開する中で、業務が増加するだけでなく、これまでできていたこともできなくなり、ただでさえ慌たゞしい生活だったのに追い討ちをかけてきていました。

そんな中で迎えた初めての保護者会

zoomを保護者の方と繋いだことはないので、当然のように対面式でやりました。

ただし、こんな社会情勢なので、入口の出欠表を書くためのペンから気を使います。

ペンは除菌したものを置き、一言を添えます。

「こちらのペンは除菌したものになりますが、新型コロナウイルス感染症拡大防止のために、手洗いをしてから触るか、お手持ちのペンで丸をつけてください。」

また、保護者会の内容も、保護者の方に前を向いてもらい、基本的に僕が話し続けてお終いです。

質疑応答も無く、個別の話を極力遠慮して頂きました。

できるだけ教室で大人数でいる時間を短くするためです。

保護者の方もマスクを着用しているために、表情が掴めず、単純に怖いです。

zoomでみんなに話す際の、リアクションが来ない場面の不安感に似てます。

こんな中でも頷いてくれる保護者の方がいらっしゃったので、嬉しくてそちらの方ばかり見てしまったのは反省です。

途中から気づいて意識的に教室の隅から隅まで見るように切り替えました。

保護者会後、土曜授業が増えた時の僕の体のことを心配してくれました。

そうなんです。

初めての土曜日授業も六月にあったんです。
本当に地獄でした。

週六日で子供達のコンディションが悪かったこともそうですが、教員も子供も二日間休めないので、次の週にまで疲れを引きずってしまうことが本当に辛かったです。

そんな中、仕事をしていたある日。

その日は4時間で終わったので、子供の振り返りなどを早めにやっていると、ふと机が乱れていることに気づきました。

ソーシャルディスタンスを意識している学校に相応しくない距離でした。

そこで教室の床に一つ一つの机の目印を書きました。

これが本当に大変で、25個書くのに1時間半は使ったと思います。

でも、このラインがあるだけで、子供が自分で席を揃えられるようになると思うと、意味はあるように感じます。

また、次の日の準備をしている際に、自分のことがマメだな〜とふと感じました。

教科書に書いてある図なのに、どこに注目すればいいかわからないことや、ページが開けないことを考えて、図をスキャンし、トリミングして、子供の思考の流れに添いながら、部分的に見えるようにし、それと共に指示も言語化、図にして視覚化しておきました。

毎日の授業に限らず、朝の会や些細な指示を予想し、スライドにしておき、視覚化してあげます。

大人なら口頭で伝えればいいものをわざわざ視覚化して、一つ一つ丁寧にやる。

こんな小さな手間が至る所に教室には散りばめられています。

僕らの仕事は、「教える」より、もしからしたら本当に小さな「気遣い」の塊でできているのかもしれないと知りました。

こちらの努力なんて知らないで、子供は明日喜怒哀楽を見せてくれますが、学校に来たいと思ってもらえたらこの努力も報われるのかななんて考えていました。

クラスで学級目標を考えました。

まず目標とは何か、子供たちに聞いてみて、わかる子がいくつか出してくれました。

具体的に「ピアノの上手になるみたいなこと」と言う子もいれば、「みんなのなりたいもの」みたいに少し抽象的なことを言う子もいました。

そんな感じで説明をした後に、子供たちに聞いてみました。

「みんなはこのクラスをどんなクラスにしたい??」

そこからはいろんな想いが出てきました。

楽しいクラスにしたい。
立派な小学生になりたい。
すごい一年生になりたい。
勉強が上手になりたい。
勉強を頑張りたい。
楽しく勉強がしたい。
ふざけた面白いじゃなく、面白く笑いたい。
小学生のことを手伝いたい。
先生を手伝いたい。
友達を手伝いたい。
優しいクラスにしたい。
切り替えが早いクラスがいい。
みんな仲良しのクラスがいい。

こんな感じでドンドン意見が出てきました。

そんな中、うちのクラスの子で、見通しが持てないことが苦手な子が少し激しめに動き出しました。

それを見て、

「よくあんなに激しく動けるよね!」

「今日は、だいぶ長い時間我慢できてたからすごいよね。」

「今日はプリントはずっとしてたから勉強はしたかったのかもね。」

とポジティブに受け止めるうちの子たちに感動しつつ

僕はみんなに

「あの子もあの子なりに、聞くことが苦しいけど、あの子なりに我慢してるんだよね。先生、あの子と少し話してもいい?」

と聞くと

「うん!」

といい返事が返ってきた。

そこでの話し合いの末、その子は絵を描きながら話を聞くことで話し合いは落ち着き、そのことをみんなに伝えました。

「あの子なりに頑張って絵を描くことで我慢ができるみたいなんだけどみんないいかな?あの子は絵を描いてるいるけど、みんなは描くのはいいとはならないけど、それでもいいかな?」

間髪入れず、大きな声で

「いいよ!!」
と、力強い返事が返ってきました。

僕とその子のやりとりを見ていたクラスのある子が言いました。

「ねっ先生、あの子はいま楽しくないのかな?どうやったら楽しくできるかな?」

それを聞いた子が、

「だったら、面白いを目標にして、こういった時にあの子を笑顔にしてあげたらいいんじゃない?」

ある子が言い出しました。

「先生、私はあの子のこともみんなも優しく見守るクラスにしたいな。」

「私は何ができるかわからないけど、手伝ってあげたいな。」

それを聞いたある子が、

「助けて、助けてもらって、助けてもらった人が次は助けて、そんなクラスがいいよね。」

と言いました。

「でもさ、別のあるの子もいつも困ってるから、彼の手伝いもいるかもね。」

と違う子が提案しました。

この一連のやりとりで、僕は正直涙が出そうでした。

うちの子たちは、クラス全員でひとつなのです。

自分だけ得すればいいわけじゃないんです。

一人一人違うことが前提にあるんです。

その人それぞれの成長があって、その子のいいところにもしっかり目を向けられる。

そんなクラスに今後なっていく片鱗を見た気がしました。

僕の尊敬する木村泰子さんが、大空小学校を「みんなの学校」にした際に、

あれは木村泰子さんだからできたと言ってる人がいました。

でも、もし、もしも一年目の僕が、そんな学校は作れないにしても、そんなクラスを子供と過ごすことができたら、それって誰でもできるってことになります。

少なくとも木村泰子さんでなければできないという方程式は崩れるわけなんですよね。

みんなの学校はまだでも、みんなの教室を実現すること。

まずはこれを目指して頑張っていきたいと思いますとこの時心を燃やしていました。

ただ、その一方で学級秩序について不安を抱いていました。

その当時のクラスは子供は学校を楽しんではいるが秩序のない楽しさになってしまっている感じでした。

まず、朝の準備に新しいことが入って、俺もイメージがついておらず、余裕がありませんでした。

そして、子供が徐々に慣れてきて、素の部分を出し始めながら、連続して学校に来ることで疲れが出始めていました。

その結果、子供たちの緩い繋がりが生まれたが故の悪循環か生まれていました。

小競り合いから、少しハードなじゃれ合いをしていたり、友達を手伝うフリをして、邪魔をしたり

至る所で、問題が起きそうな種が生まれていました。

仲良くなった証拠と僕は思っていましたが、そこに秩序というか規律を作れていないがために、指導する俺自身がへばっていました。

一見すると楽しそうだし、子供も楽しいだろうけど、かなり大袈裟に盛って言うと無法地帯みたいになり始めていました。

授業後、ベテランの先生にアドバイスを頂きました。

自分がやろうとしていることは、流れるように子供たちが動いていることです。

自分たちで考え、動き、隙間を有効活用しながら、自分なりに楽しく過ごせるようにする。

他者と自然と交わり、支え合い、刺激し合い、みんなで作っていく、そんなコミュニティにしていきたいんだと思います。

先生が言うに、僕は子供が楽しくない時間を過ごすことが嫌いで、待ってられないそうです。

子供が動ける場を常に与え続けるようなイメージです。

このタイプは高学年ではハマるそうです。

ただ、低学年(特に小学校一年生)においては、そのやり方だと難しいところがあるそうです。

僕のやり方は、相手が雰囲気を理解して、察して動くことができる程度の発達段階がなくては上手くいきません。

現に、一部の子では機能し始めていて、積極的な関わり合いが生まれ、助け合う姿や刺激をもらい合う姿が見え始めています。

しかし、一部の子は、何をするかも大事だけど、今目の前で面白いが飛び込んだりすると、見境なく飛び込んでしまいます。

お道具箱をロッカーに持っていくだけの作業中にじゃれ合ったり、僕が話していても、未だに一人一人が話してしまうのはそのためです。

だからこそ、子供の中にどう規律を作っていくか、秩序を作っていくか考えなければいけません。

この秩序作りたいができない状況にも関わらず、この頃の僕は周りの人を助けようとしていました。

学校が本格的に再開されて、自分も残業するのが当たり前なっている状況で、周りの一年目の先生がどんどん疲弊していきました。

なんとか、周りの人のことを救えないか、全力で考え、出来る限りのしていました。

6月末のある日僕にとって1つ大きなイベントがありました。

児童主体の委員会活動の一環で、zoomのブレイクアウトセッションを用いたリモート交流集会を実施したのです。

学校の環境的に、パソコンで音声を拾うことや映像を撮ることはできないので、書画カメラを用いて映像だけ他のクラスと繋ぐことにしました。

そして、2つクラスで1つのビンゴカードを使って、放送でビンゴの数を言い、数があった時やビンゴをした時にするポーズを決め、放送でタイミングを他のクラスと合わせて、交流するという内容でした。

学校が再開されてから、全校生徒で集まることもなく、日々が進んでいました。

そのため、初めての学年を超えたイベントだったこともあり、朝から子供達のテンションは高く、集会が終わるまで子供の笑顔を絶えることはありませんでした。

何より校長先生が嬉しそうでした。

集会後校長先生からも、

「よくやってくれたね。」
「ありがとう。」

と言って頂けました。

振り返りの時の子供達の顔は、とても満足そうで、やり切ったって想いが伝わってきました。

そんな素敵な舞台の裏側には、一年目の僕と委員会の先生の血の滲むような努力がありました。

まず、委員会が始動してから二週間でこの集会が開催されることになり、その準備に休み時間はほとんどなくなりました。

子供の話し合いにアドバイスや、クラスに配るお便りの作成、打ち合わせ等の日程調整など、マネジメントに日々追われます。

そんな中でも子供主体で作っていくことが大事。

ビンゴカードをどうすれば交流しながら作れるか、音の無い中でどうやって交流するのか、アイデアを出し合い、まとめていくプロセスを見守る。

そうやってできた今回の集会。

僕が担ったのは、これに加えてハードの部分です。

これまでzoomを使ったこともない先生達に、Chromeをダウンロードしてもらい、zoomに入る練習をしてもらいました。

一年目が職員会議で、zoomのやり方を書いたレジュメを配り、他の先生方が都合のいいタイミングで、一人一人やり方を教えていきました。

前日の夜には、学校が閉まるまで、全教室の書画カメラ及びその他機器のセッティングをしてから、zoomのレクチャーを他の教員に行った後に、通常のクラスの授業の準備と丸つけに追われる地獄のような時間を過ごしました。

色んな先生に手伝えることがあれば、とは言われるもののハード面で僕以外にできる人がいない現状なので、僕が走るしかありませんでした。

なんとか前日夜にzoomの入り方がわかる先生が何人か出てきました。

それでも当日朝までzoomに入ったことがある先生が半分くらいだったので、不安しかありませんでした。

そして、当日の朝

7時からスタンバイして、来た先生から順番にzoomに入ることをお願いします。

パソコンの電源が落ちる人、書画カメラが使えない人、パスワード忘れる人

本当に色んなトラブルが最初から最後まであり続け、その都度走り続け、気づけば階段を10往復していました。

それでも、やってよかったと思えています。

子供が達成感に満ち溢れ、教員も興奮を隠せない様子でした。

やっぱり交流するって大事ですね。

こんな時代だからこそ、初任者でもできることをこれから全力で取り組んでいきたいとこの時強く想いました。

思えば、この時が僕の一学期のピークだったと思っています。

子供たちの良さにも目を向けることができ、初任者ながら学校組織全体のためにできることをできる形で発揮できていました。

いや、色々やりたいことができているからこそ、悪いところに気づいてて気づいていないふりをしていたのかもしれません。

いいなと思ったら応援しよう!

小泉しのぶ(小学校教諭×起業家→教育委員会×起業家 )
サポートして頂いたもの、全て教材の作成費用等の子供たちのために使わせて頂きます。