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僕という歯車について思うところ
周りがどう思うかはわからないが、僕は自分のことを歯車だと思っている。
一人で街を歩くと、忙しい日々では気づけない出会いがある。
いつもの通りを少し横道に逸れたところにあるイタリアンのお店
前までお世話になってたお店の跡地に新しくできた天ぷら屋さん
今まで行ったことのなかった格安の居酒屋に脚を踏み入れるとカウンターで若い男の人が、地元民のおじさまと談笑していて、そこから屋久島に高校があることを知る。
初めてオンラインで話した人に、自分の話をして、自分についてまた知る。
空はどこか不気味だけど、何か惹かれてしまう模様をしている。
足は重たく、体の疲れが抜けてないことを感じる。
通りすがりの雑貨屋から流れてくる音楽に懐かしを感じ、心が躍る。
些細なことに心が躍るどこにでもいる人
どこにでもいる人だから、僕がいなくなっても知らないうちに僕の隙間を誰かが埋めているんだと思う。
僕がいなくなったら、僕の代わりに先生が入って、子供達もしばらくすると成長を始める。
僕がいなくなったところにも時間は流れるんだと思う。
不思議だけと、当たり前のこと
そんな僕は他の人みたいに「どうしてもこれがしたい」みたいな想いがない。
だから、場の人の様子に合わせて、場の人が出来る限り幸せになるために、場の人が出来る限り幸せになるように尽くす。
何かやりたいことがあったら、相手のやりたいと自分のやりたいが重なるところでやる。
自分のやりたいという正義を振りかざさない。
よくできた歯車だ。
でもね。僕はそんな自分のことが嫌いじゃない。
だって、ただの歯車だからこそ、周りの歯車の噛み合わせを良くして、周りの歯車を幸せにすることもできるんだと思うんだよね。
誰にでもできるところだからこそ周りを幸せにできる。
誰にでもできるからこそ周りが見て、追いかけられる。
誰にでもできることをどうやって質を高められるのか、そんなことばかり考える。
あ〜なんか虚しさはないけど、自分という人間がどこまでいっても場の人間なんだなと感じた週末でした。
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