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教員一年目の一学期を振り返る~7月編~
今日は7月です。
全校生徒参加のリモート集会を終えて僕に待っていたのは、なかなかに厳しい現実でした。
集会の準備に追われ、クラスのことが疎かになっていた僕は、色んなところでボロが出てきていました。
まずは給食指導。給食指導の際、どうしても食べ物を粗雑に扱われるのが嫌で、ついつい厳しく食べることを強要してしまっていた。
学級経営では、個人を見る目と集団を見る目を両方持つことができず、苦労していた。
秩序のある自由を作ることができず、苦しみだしました。
授業もうまくいかない。教材研究が十分にできていない。教材研究ができてないからこそ、もろさが滲み出る。
一年生は本当に初歩的なところなので、今更聞けない当たり前のようなことを教えることになります。僕の中で当たり前のようになっていることを教えるので、なんとなくできそうなので、なんとなくやると本質を理解していなくて失敗することがあります。
皆さんは、「おにいさん」がどうして長音(伸ばしの音)になるか考えたことはありますか?
そんなこんなで悩んでいた訳なのですが、教材研究する時間がありませんでした。
児童の実態ができず、悔しいを通り越して、どうしていいかわからなくなっていました。
そしてこの時期に、一部の先生から姿勢などについて指摘される機会が増えてきました。
隣のクラスを見て、これまで気にしたこともないようなことが気になり出しました。
その結果、この結果僕は自分を責めるようになりだしました。
僕が子供の未来を潰しているんじゃないかと怖くなったんです。
ふとした時の声かけもそうだし、学習規律の部分とか、正直ちゃんとできてない。
できてないというか、やり方がわからない。
座る声かけや、時間を守るように伝えてはいるものの、時間を守れない。どこか緩みが生まれている気がする。
一人一人褒めながらやると徐々にできてくるが、当たり前に守ることが当たり前になってない感じ。
このような言葉で、自分を責め続けました。
責め続けた結果、厳しくしよう。なんとかしなきゃと思い、自分の信念を疑い行動し始めました。
確かに僕は、「居心地の良さ」を重視するあまり「学びやすさ」を重視することはできていませんでした。
ただあの時の僕は、一番は子供と向き合えていませんでした。
周りの大人の目ばかり気にして、一番大切な子供のことを考えられなくなっていました。
ただあの時本当に必要だったのは周りの価値観と向き合うんじゃなくて、自分と子供達と困りごとを共有することやそこから困り事をみんなで解決していくことだったんだと思います。
だって、このクラスの問題は、周りが決めることじゃないんですもん。
周りの声が大切な時もありますが、あの時はそういう時じゃなかった、目の前の子供達と語り合って、話し合うべきだったんです。
だって、僕は大人のために教員になったんじゃない。僕はあの子達のために教員になったんですから。
でも、そこに立ち返ることはできませんでした。
頭でわかっていても心がすぐに切り替わってくれなくて、苦しんだそんな7月でした。
本当に苦しかったです。
正直学校に行くのが嫌になりました。
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