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成長と適応は隣り合わせ

恩師と話して、自分が成長できていることを言語化してもらえました。

言語化されたことで、自分の中でふと疑問が湧いてきました。

「俺は成長したのか?適応しただけなのではないか?」

確かに仕事は早くなり、子供達と語り合うことも、子供達を学びに向かわせることも、しつけのようなこともできるようになってきました。

でも、これは本当に成長なんでしょうか?

なんか、言い訳を覚え、妥協点を決め、その中でできることを頑張っているだけのような気がしています。

これはもしかしたら妥協なのかもしれません。

箱を超える努力をしないことはもしかしたらいけないことなのかもしれません。

人は成長したと思っていてもその箱に形を合わせているだけ、僕の言葉を使うと「適応」しているだけの時もあると思います。

というか、適応が成長なのかもしれません。

だとしたら、自分がどんな箱に入るかということが大事なんじゃないかなとも思うんですよね。

適応という形以外の成長の形を求めるなら、箱を作る、箱を壊すという方法でしか成長はないのかもしれません。

じゃあ僕はどうしたいのか。

少し立ち止まって考えてみてもいいかもしれません。

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小泉しのぶ(小学校教諭×起業家→教育委員会×起業家 )
サポートして頂いたもの、全て教材の作成費用等の子供たちのために使わせて頂きます。