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産まれながらの内発的動機は存在するのか?

小学校一年生の担任をしていてふと考えることがある。

産まれながらの内発的動機とは存在するのだろうか?

報酬や罰など外的な要因を元に行動することが外発的動機づけに基づく行動であるのであれば、内発的動機づけとは、自らのやりたい知りたいという思いに則って行動することが内発的動機づけに基づく行動だと僕なりに解釈している。

まあ、この定義が正しいかそんなに重要ではなくて、議論したいのは、そもそも内発的動機づけは産まれながら持っているものなのかということだ。

小学校一年生の彼らを見ていると、こんな行動が見て取れる。

新しい知識が入るのが楽しくて、自分から問題をとく子

体育で楽しそうに鬼ごっこをする子

その様子を見ていて、あっこの子は自分の中のやりたいで動いてそうって思うですよ。

知りたい!勝ちたい!みたいな

でも、ある子を見た時にあれって思ったんですよね。

その子は文字を書くのも読むのも嫌いだったんですけど、徐々に文字が読めるようになってきて、最近楽しそうにディスプレイや黒板の文字を読みます。

最初の頃の彼は、学ぶことが嫌そうで仕方ありませんでした。

ですが、少しずつできるようになっていく中で、学ぶことが段々と楽しくなっていったみたいなんですよね。

そういう様子を見てきた時に、

勉強したいとか、外に出て遊びたいという感情はこれまでの経験に基づくものなんじゃないか?

これまで親が勉強をさせてきたり、運動させる経験をさせたから今やりたいと思っているんじゃないかな?

そうなってくると、生まれながらのやりたいは存在しなくて、学ぶ楽しさ、体を動かす楽しさ、食べる楽しさを経験していくことで、これは楽しいんだということを知って、そこから内発的動機づけへの変容していく。

つまり、内発的動機は外部から刺激を経験したのちに、内発的動機へと変容していくのではないか。

そうなってくると、内発的動機づけは何かしらの経験を経て、産まれていくのではないか。

そんな仮説を立てたりもしてる。

だからこそ、とりあえずやらせてみて内発的動機づけに変容させていくことが小学校一年生では特に大切なんではないかと思ったりした。

何が正しいかわからないけど、日常で考えることをやめないでこれからもいきたい。

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小泉しのぶ(小学校教諭×起業家→教育委員会×起業家 )
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