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10年ぶりの家族旅行と温泉と自分と

10年ぶりの家族旅行

高校生ぶりなので10年ぶりに家族5人で家族旅行をした。
本当は3年前に僕の大学院修了と妹の大学卒業、弟の成人、両親の結婚25周年のタイミングで家族旅行に行こうとなっていたのだが、新型コロナウイルスの関係で延期になり、今回のタイミングになったのだ。

やっぱり家族はいいものだ。
草津を中心に群馬県を堪能したのだが、この旅の中でいくつか今と過去とこれからについて考えることがあったので、言葉にしておく。

①昔の父と重ねる自分の姿


今でこそ、家族との時間を誰よりも優先する父だが、昔は本当に仕事に命を燃やしているような生き方だった。ほとんど休みがなく、休みの日に父が家にいると槍でも降ってくるんじゃないかと思ったほどだ。長男だった僕は休みの日も疲れて家で寝ていて、母が僕らを外に連れていくと、無理して外についてこようとして機嫌の悪い父を何度も見てきた。

今回の旅で、夕食中に母とそんな昔話をしていると、急に一本の電話がかかってきた。緊急の案件で僕が対応するしかないものだった。それは仕方ない。仕方ない。そう思いながら、電話を終えて夕食の席に戻った時に、父を見て、はっとした。

それは、なんとなくではあるのだが、自分から当時の父と似た面影を感じたことだ。

この旅の間、連絡を取らないようにしていたんだけど、結局仕事の連絡はいくつか取ってしまった。緊急事態だしね。そう言い聞かせていた。

でも、ここで初めて当時の父の気持ちをイメージできた。あ~仕事が大事とか、家庭が大事とか、そんな自分の想いを超えて、全部やりたい時が来てて、それをしようとするとそんな生き方になってしまうんだな。

だって家族との時間と同じくらい、やりたいことのことは常に考えたいこと、やり続けていたいものなんだもんね。だってそれはもはや自分を構成する一部になっているんだもんね。考えない方が無理あるよね。

きっとこれから立ち止まる時はくるだろうけど、それはいまじゃないってわかっているんだよね。

だったら今は潔く突き進むしかないのかもね。

とりあえず富山の家族以外の誰かと家族になるのはしばらく先にした方がいいのかもしれない。幼少期の自分がそう訴えかけてくるので、しばらくはやめておこう。

②実家は誰が継ぐのかという永遠の悩み


弟と二人で、風呂上がりに足湯に入りながらビールを片手に語り合った。

弟は僕とは違い、地元の祭りや行事も出て、地域の担い手として活躍している。本当に尊敬している。そして感謝もしている。本来は長男である僕がやるように望まれていることを弟が代わりにやっている。

このことに罪悪感に近い感情を感じているのは本音である。
弟は僕が地元にいればもっと自由に色んなことに挑戦できたんじゃないのか。弟の可能性を潰しているのは自分じゃないかと葛藤しているのも本音である。

弟と雪が降っているのを眺めながら話をした。実家のこと、自分がやっていること、将来のことなどなど

話をしても結論は出なかった。ただ僕の中で「富山県に変えるなら富山県の教育を変えられるようになってから」という想いは変わらないことを強く感じた。そして、それを弟に改めて伝えられた。

こんな馬鹿な兄貴に付き合ってくれた弟に感謝しかない。

③母の姿を見て、今の自分の想いを知る


9年ぶりに母の肩を揉んだ。母の背中は思ったよりも小さくて、五十肩になったらしく所々凝っていた。肩を揉み終えると母が嬉しそうに待ち受けを見せてきた。そこには草津の湯畑できょうだい3人が並んで撮った写真があった。母にとって僕たちはたぶんそういう存在なんだと思う。本当に幸せそうであった。

母はこの旅行を誰よりも楽しみにしていた。母のあの顔が見れただけで草津に行った斐がある。小泉稲荷神社に来て、家族みんなで自分の苗字の付く神社にいって撮った集合写真は良かったな。

母の僕たちへの想いは受け止めきれないくらい知っている。思えば、いつも無茶なことをする時は母に背中を押して、守ってもらっているっけ。


そんなことを想いながら、お土産をみんなで買っていた。きょうだいのパートナーに対してもお土産を買おうとしている両親を見て、どこか自分のお節介のルーツを見たような気になっていた。

そんなこと想いながら、僕が母にとっての僕たちのように思う存在は誰なのか考えていた。

家族というと少し違うけど、それに近い想いを感じるものがあった。

あ~そうか。たぶん僕に「まなびぱれっと」の運営メンバーやオンラインサロンのみんなは仲間や同志って感じなんだろうな。横にいて、頼って頼られて、でも間違いなくこの人達の可能性を潰させないし、可能性の華を開いてもらうためにやれることを全力でやりたいんだろうな。言葉にするなら【友情】【師弟愛】みたいなところかな。

それで言うと、「ねすと」(詳細はこちらhttps://camp-fire.jp/projects/view/656189)の子たちは、たぶん親戚の子とか兄弟に近い感覚なのかもしれない。なんとも不思議な感じだよね。でも、間違いなくここがあるから僕は安心して入れているのかもしれない。

④妹との関わりと朝風呂で想う僕の「ねすと」での挑戦とは


僕と妹・弟とのやりとりはボケとツッコミみたいな感じだ。と言っても、僕だけ富山県にいないので、会話でたまに感じるズレはあるものの、妹が上手く合わせてくれている。

僕はストレートな話が好きな人間だ。だけど、それは相手が受け止められる状態である必要があると感じている。それで言うと妹は上手いなと思った。(まあ、そんな時ばかりではないのだが)

僕はどこか後輩との関わりに悩みを感じていたことを思い出した。

旅行中に電話がかかってきたのも実は「ねすと」の子からの緊急の電話だった。僕にとって「ねすと」という場所は極めて特殊な場所だった。

メンバーのやりたいを応援し合うコミュニティを目指して1年前に始まった「ねすと」。その中で僕は最年長であり、既に挑戦し、形にしている関係上、どうしても大学生の他のメンバーとはフラットな存在ではなかった。みんなをなんとか導こうなんておこがましい関わり方をして大失敗をした。

そんな関わり方をするとコミュニティは居心地が悪くなり、挑戦はむしろ生まれづらくなる。自分のことが自分でも嫌になる不思議な感覚だった。

たぶん、それ以降僕にとって「ねすと」での一番の挑戦は「ちょうどいい距離感でいる」ということだったんだと思う。

先輩とか、起業家とか、そういう存在でなく、「小泉志信」としてどうやって「ねすと」のメンバーと関わるのか。

すごく難しく、でも僕にとってとても貴重な経験だった。まず大学生のみんなが中心となって本気でオフラインで集える場を作ろうとしないと体験できないことだし、僕が引っ張るんじゃなくて、他に大学生で中心となって進めてメンバーがいて、その引っ張る人たちを見守る経験も初めてだったから戸惑ったんだと思う。

それが未だにできているとは言えないだろう。だけど、そういう関わり方を模索していく中で「ねすと」が新しい居心地の良い、僕にとってもかけがえのない居場所になっていったんだと思う。

僕にとってそういう意味では自分らしくもありつつ、上手く中和もしていた妹が羨ましく見えたのかもしれないね。

⑤富岡製糸所で感じる自分の進むべき道


この旅行で人生を強く感じたのは富岡製糸場だった。

僕は最近どんな道を進むのかずっと悩んでいた。父は50歳を超えて新しいことに挑戦することを決めている横で、やりたいことが多い僕は結局何がしたいのかモヤモヤしていた。

教員としてプレイヤーとしてもがいていくのか
管理職になり、マネジメントしていくのか
起業家として、新しいものを生み出していくのか
研究者として、これからの教育界に貢献するのか

これを全部まとめてやるのか。Do(やること)ベースで物事を考えていた。

そんな中で富岡製糸場で僕が感じたのは、未来の方向性を信じ、未来を作るために覚悟を決めることだ。

日本の経済成長の可能性を信じて、国策として生糸を作ることを決め、その後民間と協力し、日本経済は大きく成長していくのでした。富岡製糸場の存在は、女性の社会進出を進めることや日本の経済成長にとどまらず、技術開発によって、世界の絹産業界が発展し、ファッションのあり方に大きく影響を及ぼしていました。

もちろん、ここまでのことを見通した上で、この事業に関わっていた人ばかりではないと思います。ですが、少なくとも「日本で生糸を作る」という道筋を示した人達の覚悟は、間違いなくこの国と世界を大きく変えていました。

僕は富岡製糸場を見学する中で、その人たちの覚悟を肌で感じると共に、同時に僕が思う未来の方向性とは何か考えました。

僕はこの国の子ども・教員・保護者が幸せになって欲しい。

そのためには働き方改革や教え方の変容など様々やらないといけないことはあると思います。

ですが、それらは今やっているシステムとソフトの育つ環境をベースに考えているんです。

でも、そうじゃない。このシステムがエラーを起こしている今だからこそ、少し俯瞰して捉えて見る必要があるんじゃないのか。

そもそも現場でやられている研修や指導教員ってシステムって違和感があって、教員を育てるプロじゃない人が、教員を育てるってなんか変じゃない。だって名プレイヤーがいい指導者になるとは限らないってあるあるじゃない?

なんでプレイヤーの人がマネジメントする側になるの?マネジメントのプロを作る方がみんな幸せじゃない?

そこで、僕の中で辿りついた、僕なりに変えていきたい未来の方向性

・教師教育の専門家が現場で教師教育を行う(その人材を育て増やす)
・学校マネジメントの専門家を作る(年齢や経験年数にとらわれず)

まあ、まだ断片的だけど、そのために何をしていくかはもう少し悩もうと思う

大学院に行くかもだし
20代校長になるかもだし
教員養成課程に特化した新しい大学を作るかもだし

方法は悩むけど、方向性は見えてきたんじゃないかな

そんなことを富岡製糸場で感じていました。

〇まとめ


色々書いたけど、やっぱり家族といる時間は幸せでした。
また家族旅行いきたいな。

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小泉しのぶ(小学校教諭×起業家→教育委員会×起業家 )
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