他人の価値観で生きる苦しさ
教員一年目の正直な僕の悩みを話すのであれば、一番は他人の価値観に振り回されていることだ。
自分の価値観で物事を判断できないことがこんなにも苦しいなんて知らなかった。
初めての担任、しかも一年生ということもあって、これまでの経験に照らし合わせて比較することができない。
そのため、他のクラスを見たり、自分が担任をしているクラスを見てもらった人からの評価で、クラスの状況を判断せざるを得ない。
そんな風にしてると、自然と息が詰まってくる。
自分が手応えを感じた日の放課後に、ダメ出しをされたり、自分が大切にしてない部分を永遠に責められたり、本当に苦しくなる。
少しの時間うちのクラスを見て、抽象的なアドバイスしかしか言わない。
挙げ句の果てに、
「心配してます。」
こんな言葉を投げつけて不安だけ煽ってくる人もいる。
具体的にアドバイスを求めると、
「自分で2.3個原因を考えて下さい。そうすればアドバイスしやすいので。」
いや、そこまでアバウトに言ってきて、具体はまさかの無し。
でも、自分じゃ見えてない視点があるのかもしれないと思って、色々やってみる。
色々やってみるが、自分の中で完全に落とし込んだことじゃないので、何がいいのかすらわからない。
何をしてもただただ不安になってくる。
こんな状況だとまともな振り返りもできない。
だって、基準が何もないからさ、立ち返って考え直すことも評価することもできないんだよね。
そんな息苦しさを感じていると、体が苦しさを訴えてくる。
でも、何で苦しいのか子供の姿から見えてこないんだよね。
そして、自分の中を色々探してみたり、周囲の先生や、教職大学院時代の師と話をしていく中でわかってきたんだよね。
僕を苦しめているのは、周りの大人だ。
それも学校の大勢の先生が味方してくれているんだけど、本当に僅かな人の存在に苦しめられているのだと。
僕はみんなに愛されようと努力し過ぎているのかもしれない。
人にはタイプがあって、合う合わないがある。そういった人と出会った時に、それは仕方のないこと流すことができる力が必要になってきているのかもしれない。
こんな生活をしていると自分がダメなんだと思ってしまう。
「自分がダメだから」それで全てを片付けてしまう自分がいる。
だけど、そうじゃない。
周りの人の温かい言葉から考えるとそうじゃないんだと思う。
もちろん。俺は未熟だし、一年生の授業作りの難しさを感じているのも本音です。
でも、だからこそ、今苦手なところにぶつかる運命なんだと思う。
ここで色んなものを吸収できれば、もっと高みへいける。
悩めるのは、自分の想いや考えがあるからこそで、しっかり悩めているのはその証拠。
自信を持っていい、ごく一部の周りの意見も流していいじゃん。自分を見失わなくていい。
俺なりに子供ためのベストを尽くそう。
自分を幸せにできない奴が他人を幸せにできる訳がない。
子供の幸せそうな顔と、子供と僕の幸せのために全力を尽くそうと思う。
周りに合わせるところは合わせて、僕なりに子供のためにできることをやり切ろうと思う。
あ〜ブレるって苦しい〜