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この歪んでいる世界で僕はどう生きるのか

こんなことをこのタイミングの書くのは良くないと思うが、正直に書いておかないと嘘をつくような気がして、書き留めておく。

4年前まで、僕は周りの人に評価されないでいた。

今でも評価されているとは思っていないけど、前よりもマシだと思う。

4年前まで、どうして評価されなかったのか。

理由はいくつかある。

1つ目は、自分の見せ方が下手だったこと。

僕は東京に来たばかりで自分のキャラクターを間違えてしまい、訳の分からない謝り癖の抜けない、でも変に陽気な男になっていた。

それは今も変わらないか笑笑

ただ、空気を読むことができたのに、どうやってたらそれに合わせて行動すればいいのか当時はよくわからなかった。

それに、自分に自信もなかったので、失敗への立ち直りがとても下手だった。

人は成功よりも失敗した時に目がいき、日々の習慣の些細な気遣いよりも些細な愚行の方に目がいく。

そう言った意味でいうと僕は、悪い部分が目立っていた。

結果、周りへの見せ方を間違えて、でも悪い評価を変えることができず、その地点から頑張っても、「こいつ如き」みたいな先入観は周りの人からは簡単には抜けはしないのだ。

以前、僕の力と存在を初めて見出した人と仕事をしたことがあった。

その人と仕事をして思ったのは、周りに評価してもらえるとこんなにも伸び伸びと自分を出せるのだということだ。

ただ当時の僕にはそれは日常にはなかった。

2つ目は、単純に政治が下手だった。

今でも上手とは言えないけど、昔の僕は不満があったら石を投げつけるだけの男だった。

不満を言い、ただ自分が正しいと思うやり方を無理に通したり、相手の意見を無理に受け入れたりと噛み合ってないことだらけだった。

根回しをして、事前に伝えておくとか、誰を抑えて、その上で活動するとか考えたこともなかったと思う。

どんなにいいことをしても、思いついても、その場で完全にわかる人なんて少ないこと、話し合いの場なのか、ただの決定の場なのか区別がついていなかったこと。

だからこそ、ぶつかって玉砕して終わってた。

それだと、何も成し遂げられないのに、そうするしか知らなかったんだよね。

3つ目は、言わずもがな、力不足と知識不足だな。

世界も知らないし(今も大して知らない)、教育実践者としての力も、人としての魅力も何もかもが足りなかった。

でも、足りないこともわからなかった。

わからないくらい力がなかったんだよね。

今も力はないけど、あの時より経験積んで、少しはマシになったのかなと思う。

失敗して経験値積んだんだと思う。

でも、周りは最初の印象で判断しちゃうから、変わったところでそこまで大きな変化は望めないんだよね。

そんな僕だが、4年ほど前から評価が変わって、動揺したのを覚えている。

やっていることは変わらない。

ただ、周りが先入観なく、評価してくれたら、以前ほど評価が悪くなかった。

周りの評価が変われば、人は行動するエンジンを積むことができる。

僕は、もっている力と行動の源となる想いがやっと噛み合い始めたのだ。

そして、今の自分がある。

そんな僕だからこそ思う。

【この世界は歪んでいる】

周りが変わることで在り方から変わった僕だからこそ、人って簡単に変われてしまって、悪意なく人の才能を殺すんだなって

そして、スキルである程度変えられてしまうんだなって

評価される自分もされない自分も本当は変わってなくて、切り取り方だけなのかもしれないと

評価される前提で生きなきゃいけない社会ってどこか歪んでるじゃないかな。

自分の基準でいいとか言うけど、その基準がそもそも誰かの評価が反映されたものなのだとしたら、本当の意味で自分だけの基準なんてものは存在しないんだと思う。

だとしたら尚更思う。

どう生きたいかなんてわからないから、できるだけ俺は生きたいと思った方向に進めるように頑張ろう。

こんな歪んだ世界に、真っ正面から向かい合おうなんて思わないでいよう。

どんな生き方でも、泥臭く生きようと

この歪んだ世界で精一杯生きてやろうと

明日は明日の風が吹くさ

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小泉しのぶ(小学校教諭×起業家→教育委員会×起業家 )
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