行動することは本当に意味があるのか?

僕は教員をしながら、オンラインサロンを運営して、それとは別に団体を運営していたりします。

それ以外にも単発でイベントをしたり、イベントに出たり、そんなに感じの人間です。

僕は楽しいんですが、こんな僕を見て色んな人が僕に言うんです。

「そんなに頑張って意味あるの?」

「イベントしても世界なんて変わらなくない?」

この問いは実は周りで見ている人よりも動いている本人の方がぶつかることが多い問いです。

自分の活動が本当に社会のためになっているのか
自己満足になってしまっているんじゃないか

みんな、そういう風に一度は感じたことがあるんじゃないかと思います。

「イベントに100人集めたって意味がないんじゃないか。」

「その時は楽しくても結局その後の世界はなんら変わってないじゃないか」

「頑張って団体続けているけど、続けることに意味ってあるのか」

「俺がここで少し頑張って周りよりいいレポートを書いたところで、意味ないんじゃないか」

こう考えていくと自分の努力が虚しく思えてきますよね。

こんな問いに対して、僕の経験から僕なりに回答できたらと思います。

結論から言うと、

行動することは必ず意味があります。

ただ、行動したその場で目に見える形で現れることは少なく、目に見えないどこかで形になったり、形になる前の些細な変化を生み出したり、時間が経ってから形になって現れることも多いのです。

ここからは僕が体験した話をします。

僕はこんな感じでアクティブになり出したのは教職大学院に進学してからでした。

動き始めた当初は、新しい世界が広がっていくのが、ただただ楽しくて、どこにいくのも冒険するような感覚でとても楽しかったです。

だから、あの時は動くことに意味なんて求めず、動くそのものを楽しんでいました。

でも、そういった時期はすぐに終わりを迎えました。

たくさんのイベント行って、たくさんの刺激を得た僕は刺激に慣れてきてしまいました。

そうなると、どのイベントに行ってもワクワクするような刺激には出会えなくってきます。

次第に動く楽しさが小さくなっていって、

「なんのために行動してるんだっけ?」

そう考え始めた僕は、少しずつ歩みを緩めていくのでした。

そして、歩くのを止めようとしているのは僕だけではありませんでした。

周囲を見渡すと多くの人が歩みを止めて、気づけば足が止まっていて、何かしらの最もらしい理由をつけて動くことをやめていました。

僕もそんな周囲を見て、なんで僕は動いてるんだろう?と不思議に思い、歩みを止めようとしたこともありました。

ただ僕は歩みを止められませんでした。

歩みを止めようとしても、持っている団体はあるし、やらなきゃいけないことは降ってくる。

その時の僕は、行動すること自体が目的になっていたのかもしれません。

ただ、行動していく中で、僕の中の行動することの意味が少しずつ変わり始めました。

具体的にいつと言われると難しいのですが、たぶん色んなものが繋がり出した経験を積んできたことが影響してるんだと思います。

最近だと、学校でzoomを他の先生に教えるようになった経緯とか、まさに繋がったなって感じがします。

僕は校長先生にお願いされて、今後学校でzoomの研修を行っていく立場になることが先日決まりました。

すぐにこういった立場にさせてもらえた訳じゃなくて、この前日オンラインサロンメンバーが登壇していたイベントに、うちの学校の先生が僕以外にも参加していて、その話の流れから、zoomの研修をお願いされたのだ。

ただ、イベントがあったからzoomの研修をお願いされた訳ではなくて、僕が登壇したオンラインサロンメンバーと知り合いだったことが大きかったみたい。

また、四月末に学校からお願いされた訳でもないのに、zoom研修のパワポを用意して、グラレコを塚本さんに書いてもらったものが用意してあったから、校長先生が僕に任せたいと言ってもらえたんだと思う。

ただ、こういった出来事はなにもないところから生まれる訳じゃない。

教員になってから、やる必要は必ずしもないのに朝からコーヒーメーカーの準備をして、帰りにコピー機の電源を切って、教員全員に挨拶をして、色んな先生と積極的に話に行ったこと。

他の学年の先生に、なんかオンラインとかでいい方法ない?と聞かれて、無駄に一人で資料を作ったこと。

学生時代、やる必要もないのに、団体を立ち上げて色んな人に出会ったこと。

色んな出来事が繋がっての今だ。

もし、あの時動くことをやめていたら、オンラインサロンメンバーにも、他の色んな人にも出会えず、今の状況はなかったと思う。

もし、あの時資料を意味もなく徹夜して作っていなかったら校長先生からの信頼は得られなかったと思う。

そして、行動はその場では見えなくても確実に周りを変えている。

例えば今回のイベントに登壇したオンラインサロンメンバーがまさにそうだ。

その人は僕の学校を変えようと思って、イベントに出た訳じゃないのに、間接的に僕の周りを幸せにしている。

今回の出来事をオンラインサロンメンバーに伝えたから、その事実を知ってその人は、幸せを味わえているけど、見えてないだけで色んなところでこういう小さな変化が生まれてると思うんだよね。

僕のイベントに参加した人が一年後くらいに、あのイベントから色んなところに行くようになって、自分のことが好きになりましたって言ってもらえたことがあるんだよね。

こういった過去の自分の行動が、他人のためになったことを実感した時、過去の自分の行動が誰かに繋がって、今の自分に繋がった瞬間って本当に幸せな気持ちになるんだよね。

あなたの行動は確実に世界に影響を与えていて、行動することで、影響の大小あれ、見える見えないあれ、何かの刺激は届けられている。

進みたい未来のためにあなたが行動したことに意味があって、その結果はいつかその世界を作るためには必要なことなんだよね。

行動に意味が無いと感じるのは、意味を求める距離が近過ぎるんだと思うんだよね。

たぶん、見えないところで波が生まれているんだよね。

その波は、その場では見えないこともあるけど、いつか自分に幸せを運んでくれるんだよね。

もしかしたら、誰も変えられていないかもしれない、小さな変化かもしれない。

だけど、小さな波が大きな波となって世界を変えていくんだよ。

ただ、確実に言えることは、行動しないとその波すら起きないんだよね。

そして、その波の行き先はその場では誰もわからないんだよね。

ただ、その場に見える価値に意味を持たせ過ぎると苦しくなってしまうよ。

今の行動は未来に繋がっている。

いつかはわからないけど、忘れたの頃に幸せを運んでくれるんだよね。

だからこそ、僕は未来の自分のために今行動している。

未来の自分が幸せになるために
いつか繋がる幸せを感じるために

これが僕個人にとっての動く目的であり、僕なりの行動することに意味あると言い切れる理由です。

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小泉しのぶ(小学校教諭×起業家→教育委員会×起業家 )
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