教員一年目の一学期を振り返る〜五月編〜
今日は五月を振り返りたいと思います。
五月は大型連休から始まりました。
大型連休は、オンラインサロン漬けでした。
一人一人のメンバーと最低1時間語り合い、お互いを知り、話をする中で、僕も僕のことを知っていきました。
オンラインサロンメンバーが次々にやりたいをオンラインサロン内で形にしていくのを見ているのは心地良かったです。
人が成長する瞬間。
人がワクワクを形にして、それが伝染する様子は僕のモチベーションアップにも繋がっていきました。
僕の存在が誰かのためになれている。
そう思えたことが何よりも大きかったです。
このタイミングで、教員志望の学生100人に向けて話す機会をオンラインで頂きました。
自分の言葉が多くの人の学びの種になっていく様子を見て、この子達の未来を明るいものにしたいな。
この想いある若者が潰れない学校現場になるといいななんて思ったのを覚えたいます。
連休が明けると、分散登校に向けた準備が始まりました。
90分という限られた時間の中で、クラスの半分の子に向けて何をするのか、真剣に考えました。
迎えた初日、子供達に伝えたことはとてもシンプルです。
学校は色んなことをするところで、たくさん失敗する場所です。
自分のことが自分でできるようになる場所です。
人を助けたり、助けを求めるようになる場所です。
子供達はこの考えだけはしっかりと持ってくれたみたいで、今でもふとした時に、
「学校は失敗していいんだから大丈夫だよ。」
なんて声が聞こえてくるのは、初日に話したことが大きかったんだと思います。
僕が教室で子供達の前に立ったあの瞬間、込み上げてくるものがありました。
僕がこの子達の先生なんだ。
先生になったんだ。
これまで実感がなかったものが、急にズッシリと僕の体にメッセージを伝えてきました。
その責任の大きさと、学生時代には味わうことができなかった喜びにも似た感覚がそこにはありました。
初日、声がガラガラになりました。緊張で声が大きくなってたんだろうなと思います。
鉛筆の持ち方や椅子の座り方など、学びとは何か、学校とは何か0から教えるとはどういうことなのか肌で感じながら、どうして鉛筆は正しく持たないといけないのか、音読の時は教科書を持たないといけないのかなど、本質を突くような問いと対峙する日々でした。
今思うとこの頃の自分は子供達と作ることをまだ楽しめていたと思います。
ある日算数の数の大小を求める問題を見せた際に、「クッキー」と「アメ」はどっちの方がおおいと発問しました。
どちらも数は8個であり、大体の子は「同じ!」「引き分け!」と言っていました。
しかし、ある子がこんなことを言った。
「クッキーの方がおおきいよ。」
この答えに多くの子は「?」って顔をしたけど、僕はその時その子がどうな風に考えているかある程度予想できたので、子供に考えたことを伝えてみました。
「みんなはクッキーとアメは同じだと思うんだよね。」
「うん!」
「確かにクッキーとアメの数はどっちも8個だから、数は同じだよね。でもクッキーとアメの一個の大きさはどっちが大きいかな?」
「クッキー!!」
「そうだよね。どっちが大きいかなだと、その子の言った通り、クッキーの方が大きいね。でも、どっちの方が数が大きいですかって質問だとどうなる?」
「同じだ!」
ここで、大切だったのは、
「大きさ」という概念が、
「数値の大きさ」と「物の大きさ」の二つの意味を持つということでした。
彼の発言から、その違いにみんなが気付けたのでした。
この時の感動は今でも覚えています。
音読に関しては、色んな姿勢でみんなで読んでみました。
机に寝転がって音読したり、椅子に座って教科書を持ちながら音読したり、立って音読したり、教科書を天井に向けて音読したりと色々実験してみました。
色々やる中で、
「読みづらい!」
「この姿勢なら大きな声が出るよ!」
「天井見ながらやるのは疲れた。。。」
と、それぞれに学びがありました。
自分でやってみる。
自分で感じる。
納得感を持ってやる。
この必要性を改めて感じました。
子供の想いから作っていく、そんな当たり前だけど、尊いことが少しでもできたことが幸せでした。
そんな僕は、周りの先生からも多くのことを学びました。
学年主任の先生が、僕の授業準備の様子を見て、少しでも取り入れられそうなものを取り入れている様子から、教員が学び続けることの意義を感じました。
また、ある朝の僕を見て
「失敗していいんだよ。」
と、言ってくれた先生がいました。
僕は無意識のうちに失敗恐れていたのです。新しい環境で、少しでも見栄を張りたい心から、僕は失敗することに怯えていたのです。
そんなことをやっていると五月末に、緊急事態宣言が解除されました。
学校再開に向けて、急遽学年で打ち合わせがあり、授業予定が組み直され、今まで作った授業がまたしても白紙に戻り、給食再開に向けて先生方は、対応に追われました。
管理職も手探りで、その場その場の対応がとても多い印象でした。
そんなドタバタはお構いなしに、子供は学校に来ます。
緊急事態宣言解除後、初めての分散登校は、新しい生活様式の説明を子供たちにするところから始まりました。
新しい当たり前が目の前で出来上がっていくのはどこか怖かったです。
そんな中でも、僅かな時間の中で子供達は成長していきます。
全部言語化してびっくりしたんですけど、子供が朝学校来てからやらないといかないことって12個もあるんですよね。
その12個を少しずつ自分でできるようになっていくの目の当たりにして、子供の成長速度に驚かされました。
帰りの準備の際、これまでずっと席にいた子が歩いてきて、
「先生、次はこうするのであってる?」
と確認してきました。
この前まで固まっているだけだった子が、自分から動いて質問しに来てくれている!!!
もう、その勇気ある一歩に感動していました。
わずかな時間だけど、子供は確実に成長していました。
そして、僕も成長していました。
五月末の職員会議の中で、校長先生からこんな素敵な話があった。
「今年はチャレンジの時です。授業時数のためでなく、子供たちのために色んなことに先生がチャレンジしなければなりません。そういうチャンスが来たと思って頑張りましょう。」
そんなこともあってか、お世話になってる先生に、
「教員同士でzoomで遊びたいね」
「zoomについて、中長期的に考えた時に必要なんだと思うんだよね。そん時は任せたよ」
と言われたので、四月の時に徹夜して作ったために、zoomの資料等の準備が終わっていることを伝えると、
「アピール下手だな〜」
と笑顔で言われ、そのまま校長先生のところに連れて行かれて、あれよあれよと僕が以前に用意した資料が全教職員に配られることになりました。
その後校長先生とお話をさせて頂くと、
「これから中長期的に見た時に、GIGAスクールが進み、1人1台準備された時に、そういった取り組みは絶対必要になってくる。だからこそ、今のうちに教員がzoomを出来るようにしておきたいんだよね。だからこそ、周囲の先生に教えてあげて欲しい。」
なんという展開!!!
そのあと、資料を職員室のみんなでコピーしたものを、冊子にする作業をすると
「えっこれやるの!」
と、一人の先生が叫ばれた。
「今すぐではなくて、何かあった時の資料としてです。」
と他の先生が説明してくれたので、その場は収まりましたが、
何かを始める時に生まれる抵抗の強さを肌で感じました。
そこで、校長先生に頼んで、今日配るのではなく、後日校長先生から意図を説明をした上で配布してもらえるようお願いした結果、次の職員会議で配布意図を説明した上で、資料を配って頂けるとことになりました。
また三密を避けながらどうやって集会をするか、集会委員会の先生がどうやって集会をするか悩んでいた、
そこで、zoomを用いた集会の方法を提案したら、割と好感触でした。
この会話が後に大きな転機を僕にもたらします。
そんなこんなで、周りの先生からもzoomできる人認定を頂き、あっという間にzoom担当大臣(自分が命名)になってしまいました。
四月に準備した努力がここでいきなり花開くとは思いもしなかったです。
人にはタイミングがあって、それは自然と訪れるもので、その時にチャンスを逃さないように、来たるべき時に備えて着実に蓄え、そして待つ
その努力が花開いたのは本当に嬉しかったです!
その後、学校のパソコンを使って、書画カメラを用いたzoomの実験には成功したものの、パソコンにマイクがないことが判明。
前途多難ではありましたが、五月の僕は、着実にできることを進めていき、確かな手応えを感じていました。
今の自分から見るととてもキラキラして見えるのが悔しいです。