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明日からも二人(ショートショート)


咳をしても一人

明日からも二人

一人を嘆くは、著名な俳人、尾崎放哉(おざきほうさい)。

二人を悦ぶは、隠れキリシタンの娘と神学生。

一人と二人の距離、僅か、徒歩五分。

オリーブと海風薫る小豆島。

孤独の象徴とも言える尾崎放哉、終焉の地から、目と鼻の先に恋人の聖地と化したエンジェルロードが存在している。

なんと皮肉なことだろう。

いや皮肉なことではない。

そんなもんね。

ずっと一人だと思っていた人間が、ひょんな出逢いから二人暮らしを開始する。

その一方で

ずっと二人で生涯を過ごすと思っていたのに、一人になってしまうこともある。

そんなもんね、一人と二人の距離なんて。

だけれども、この徒歩五分の距離を動くことすらできなかった、私。

曇天という文字が相応しい程の分厚く濃い雲がゆっくりと確実に移動している。

尾崎放哉記念館の前で男は言った。

「おい、なに泣いてんだ。そんなにこの尾崎放哉ってのに同情したのか、優しい奴だな、お前は」

相変わらずなにもわかっていない。こんな男にわかるはずがない。私が何故泣いているのかなど。

尾崎放哉の孤独を哀れんで泣いているのではない。自分の不甲斐なさが悔しくて泣いているのだ。

この男は私から全てを奪った。私の大切な娘、そして孫。

この男は、私に対してはいっさい暴力を振るわなかった。

そのかわり私の大切な娘を、事あるごとに殴った。蹴った。押し倒した。歯も磨いていない汚い口で罵倒した。

娘はその度に私に、助けて、と目で訴えてきた。

そこで私は動くべきだった。なにも考えずに、この男から娘を引き離して、逃げるべきだった。

だけど実際の私は動くことも、助けることもしなかった。

この男の経済力無くして、どう生活していいか、私にはわからなかったからだ。

この男に歯向かうと、暴力の矛先が私に向くのではないかと、怖かったからだ。

そんな言い訳を並べて、私は娘を見殺しにした。さっき、娘はこの男に奪われた、と言ったが、私もこの男と同じ程の罪を犯している。

一人になる勇気が出なかったのだ。

二人から一人になるのだなんて、たったの徒歩五分なのに。

そんな距離すら動けなかったのか、と、尾崎放哉に問い詰められた気がして、鬱積した感情が溢れて涙した。

本当に辛かったのは娘なのに。娘の菜乃花は何度、私に絶望しただろう。初めのうちは、きっと私達に怒っていただろう。でも怒りという感情は長くは続かない。怒りは長く置きすぎると、諦めに変貌するから。娘は私達を諦めた。その証拠に、高校を卒業して家を出て以来、一度も我が家に帰ってきていない。帰ってこないどころか、一本の電話も掛けてこない。娘は私達を諦め、私達の存在を無かったものにしたのだ。

昨日まで晴れ予報だったのに、今日は雨ですと伝える天気予報のように。

それでも娘と仲が良かった同級生から、なんとか娘の近況だけは聞き出していた。二年前に赤ちゃんを授かったらしい。本来ならば、私の孫となる子だ。だけどもちろん、娘からの連絡は無い。孫にとって私達は本当に最初から存在していないものとして扱われていくのだろう。

それも、これも、私があの時、一人になる選択を取れなかったからだ。そしてこれだけ涙して悔やんでいても結局は動けない、私。

内面では殺したい程に憎く、大嫌いというのも勿体無いくらい汚らしい、この男と

明日からも二人

過ごしていくの。

この男と生涯を共にすることくらいしか、娘への罪滅ぼしの方法がわからない。


一人になりたい

一人で咳をして死んでいきたい

徒歩五分が遠い。






終わり









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宝積たまる
ここまで読んでいただきありがとうございます。

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