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海の部屋 2025.2.11

こんにちは。なんだかなぁと思うこともありますが、穏やかな気持ちが続いています。
自分の元気なときって、人にたくさん会おうとしているときじゃなくて、ひとりを楽しめているとき、自分の暗さに耐えられているときだなぁって気づきました。
今のわたしは悩んでいたときにそうなっちゃだめだと思っていた思考に近くて、でも今は理屈じゃなくそれで良いと思える。わたしにとっての精神の変調は、頭の中のガスコンロのつまみのイメージで、ほんのちょっと動かせば全然変わるんだけど、それを捻るのがとても難しい。火がついてしまえば、なんであんなに捻るのに手間取っていたのかわからないのだけれど。
早く寝ることとか、甘いものを食べないこととか、SNSをやスマホゲームから遠ざかって本を読むこととか、外に出て陽の光を浴びることとか、体を少しでも動かすこととか、そういう単純なことがやっぱり大事なんですね。
思考や感性のみで作られていると思っていた脳は案外単純なところから栄養補給している。


久しぶりにひとり旅してきましたー。

海沿いの高台の宿にこもってのんびりしてました。
正直自分はひとり旅が好きなのかどうかよくわからないんですが、今回は早起きして朝焼けを見れたことがとても嬉しかったです。
一日のうちに海の色がどんどん変わって不思議だった。


部屋の名前も海でした。



2025年5冊目、6冊目の読書記録。

「火山のふもとで」は、話がどうであれ、絶対良いと思える作品だろうなという予感がして読みました。光の色とか、木の匂いとか、誰かの若い肉体と年老いた肉体が平等に世界に存在していて。物語なので主要な人物や出来事はもちろんあるんですが、同時に存在するあらゆるもの(書かれているものも書かれていないものも)を圧迫せずに描写されているんです。与えられた仕事も恋情も悲しみも世界の一片でしかないことが、生命の刹那的な喜びを感じさせてくれる。
自分にはこういう感性がないので、こういうことを気づかせてくれる作品は有り難いです。
あと、すごく好きな台詞がありました。



そういえば、今更ながら映画「ナミビアの砂漠」を観たのですが、近年で一番才能にぶん殴られてしまった感ありました。
あの、刺激を受けていない間は自分の生命を持て余している感じ。自分の心が先にあるんじゃなくて、刺激を受けて、手探りで感情を引き出す感じ。あぁって閃いたり、何かを熱心に眺めてみたりする、自然発露の行為をどこか意識的にしている感じ。
真昼間、誰もいない家でひとり、心と身体の容量が釣り合っていなくてなんだか居心地が悪くてだるいなと思ったこと。
若い女性の精神構造をこんなに内部から描いてるの初めて観たなー。自分だけが悪くておかしいみたいで苦しいよね。
観るとメンタルにきそうだなーと思ってなかなか観れてなかったんですが、いざ観てみたら自分はもうあの苦しさからは遠のいたところにいて、ほっとしたようにも虚しいようにも感じました。

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