見出し画像

日々は事件に満ちている。 『すてきな退屈日和』宮田ナノ著

5年日記をつけはじめて、今年で10年になる。
先に記しておくと、書けなかった日があるというよりも、トータルでは書いている日のほうが少ない、そんないいかげんな日記だ。

朝いちばんの仕事を始める前に、昨日のことを書く。しかし改めて思い出そうとしても、取り立てて書けるようなことが見当たらない。
朝起きて、ごはんを食べて、夫と子どもたちをそれぞれに送り出し、仕事をし、ひとりで適当な昼を食べ、また仕事をし、夕方になれば保育園にお迎えに行き、またごはんを食べて、風呂に入って寝る。わたしの日常は、だいたいそんな繰り返し。

昨日と一昨日の区別がつかず、それは今日もたぶん同じだろう。
なんて平凡で、変わらない毎日。

宮田ナノさんのコミックエッセイ『すてきな退屈日和』(オーバーラップ刊)を読んだ。

主人公の文月夏子さんは、フリーランスの校正者(小さな書店でもアルバイトをしている)。
夏子さんの毎日は、平凡だ。大きな事件は起こらないし、特別な場所にも出かけない。コツコツと仕事をして、夜ふかしする日もあれば、早起きする日もある。スーパーに出かけたり料理をしたり、本を読んだりして、また寝床に入る。

夏子さんが、朝のトーストに向き合うシーンが好きだ。バターにチョコ、ピーナッツにジャム、チーズ。あれを塗ろうか、これを塗ろうかと迷いながら、今日の気分でハーフ&ハーフの一枚を仕上げる。でも、後輩のかよちゃんは、たくさんのペーストを前に、シンプルなバタートーストを迷いなく食べるのだ。そのいさぎよさ、ほのかに漂ううらやましさ。

星占いの順位が1位でも最下位でも振り回され、まんなかくらいの順位だと心穏やかにいられる夏子さん。ベッドでゴロゴロしたり、武田百合子のエッセイよろしく牛乳を土鍋で温めたり、思い立って風呂にわかめを入れたりする夏子さん。ふとしたことから、子ども時代に触れた糠床のひんやり具合を思い出す夏子さん。

彼女の日常を見ているうちに、生活への解像度が少しずつ高まり、記憶の輪郭が濃くなっていくのがわかる。そういえばわたしも昔、自動販売機で水を選ぶ友だちを「かっこいい」と思ったし(当時、出先でお金を出してまで水を飲むのはモデルと芸能人くらいだった)、雨で濡れたローファーの重さも知っている。飴玉を入れたほっぺの内側のあの感覚だって、ひさしぶりに思い出した。

夏子さんが自身の校正者という仕事と、「見えぬけれどもあるんだよ」という金子みすゞの詩の一節を重ねるくだりがある。

この本も一冊を読み終えたあとに、なんにもないと思っていた自分の毎日に、見えていなかったものが見えてくる。きらりと光る瞬間や、愛おしいもの。大切にしたい出来事も感情も、わたしの毎日にちゃんとある。

日常は小さな小さな、人には伝えないくらいのひらめきやおどろき、おかしさやよろこびや恐怖、そのほかいろいろなざわめきに満ちている。それはきっとみんな違っていて、だからこそ、その人らしさがあるのだ。生活は平凡で退屈で、やっぱりおもしろい。

ダイニングテーブルでこの文章を書きながら、パソコンからベランダに視線を移すと、洗濯物がハタハタと揺れていた。今朝干したばかりなのに、もうすっかり乾いた様子だ。いまにも飛んでいきそうだなぁ、取り込まなくちゃ。そう思った瞬間、洗濯バサミをつけ忘れていた手ぬぐいが一枚、ふわっと舞い上がった。

あぁこれは事件だ。そうですよね、夏子さん。

『すてきな退屈日和』宮田ナノ著(オーバーラップ刊)

(この記事は株式会社オーバーラップ様のご依頼により執筆したものです)


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?