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美術品の経済的価値を決めるものとは何か?〜山口桂(クリスティーズジャパン 代表取締役社長)

 2024年6月28日、多摩美術大学八王子キャンパスで行われた芸術学科の授業「21世紀文化論」に、クリスティーズジャパン社長の山口桂氏が特別講師として登壇した。テーマは「オークションの世界とその舞台裏​​」。はたしてオークション会社は、美術の世界でどう動き、どんな役割をはたしているのか。山口氏は切々と語り始めた。


世界初の美術品オークション会社としてスタート

 クリスティーズは1766年にロンドンで創業した世界で初めての美術品オークション会社だ。公開された場で競り合って最高値を付けた人が購入できるオークションというシステムを導入したという点で画期的だった。オークションは、美術商が特権階級に対して美術品を販売していたそれまでの仕組みと比べて、様々な階級の人が参加できるので公平だった。その後二百数十年を経た現在、クリスティーズは世界46か国にオフィスを持ち、ロンドン、ニューヨークを中心に10都市で年間350以上のオークションを開催している。

 オークションはコンテンポラリーアートや近代絵画など美術品を扱うイメージが強いが、有名人の遺品や野球選手のサインボールなどの記念品を扱う「メモラビア」や、500ドルから購入できるワインなど、80種類以上の分野の取り扱いがあるそうだ。2020年には約33億円で本物の恐竜の化石が売れたことからも、分野の幅広さが伺える。

 「歴史的には、サザビーズがコマーシャルをうまく活用し、ビジネスセンスに長けた『貴族になりたいビジネスマン』で、クリスティーズはよりコンサバティブでアカデミックな『ビジネスマンになりたい貴族』と言われていた」

 山口桂さんは、世界の2大オークション会社として競合するサザビーズとの違いを、こう話す。両者はロンドンで18世紀半ばというほとんど同じ時期に創業し、現在でもよくコンペティションで争う双子のような存在である。

授業の様子

さまざまなセールスレコードを保持

 レオナルド・ダ・ヴィンチがイエス・キリストを描いたとされる《サルバトール・ムンディ》にオークション史上最高落札額が付いたのが大きな話題となったことは、知っている人も多いだろう。2017年11月15日のニューヨークのオークションに出品されたこの作品には、4億5000万ドル、日本円にして約510億円もの高値がついた。この作品はもともと1958年には英国でわずか45ポンドで売られていたものが、科学調査や学術的研究を経てレオナルド・ダ・ヴィンチの作品であると特定され、ここまでの値段になったのだという。落札後はアラブ首長国連邦のルーヴル・アブダビで公開されるという噂があったが、現時点では行方不明となっている。

 20世紀美術で最も高値が付いたのは、2022年5月に同じくニューヨークのオークションに出品されたアンディ・ウォーホルの《Shot Sage Blue Marilyn》。1億9500万ドル(約253億円)で落札された。この作品は、アンディ・ウォーホルのファクトリーと呼ばれるスタジオで来場した男性が銃で撃った跡がうっすらと残っていることで有名だ。

 2021年には、オンラインオークションにBeepleのNFTアート作品《EVERYDAYS:THE FIRST 5000 DAYS》が出品され、落札予想価格を大きく超える約6935万ドル(約75億円)で落札された。これは、オークション史上初めてのデジタルアート作品であったのと同時に、オンラインオークションでの過去最高落札価格になった。購入者も、従来とは異なる顧客層だったようだ。

 そのほかにも、現存の作家として最高額のジェフ・クーンズ《Rabbit》など、さまざまなセールスレコードを保持しており、クリスティーズの年間の総売上額は、8000億円を超えている。

日本中から届く査定依頼

 クリスティーズは日本ではオークションは開催していないが、世界各地のオークションでは日本美術を扱っており、日本中から頻繁に査定依頼が届く。その作品を社内のスペシャリストが調査、検討したうえで予想落札価格が依頼者に提示され、出品決定となるそうだ。例えば葛飾北斎の《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》などの作品は、江戸時代には量産されていた版画でありながらも、残存数が少なくなった現在でも世界中から根強い人気があり、4億円以上で売れることもあるという。

 2008年には、鎌倉時代の仏師、運慶作と伝えられる《大日如来坐像》がニューヨークのオークションで日本の宗教法人に約14億円で落札され、話題になった。この仏像は、もともと熱心な日本の個人コレクターが所有していたものだったそうだ。三越を通じて、真如苑という宗教団体が落札し、現在は、東京の半蔵門ミュージアムで見ることができる。

市場の動向は数年で様変わりをする

 美術品の経済的価値を決めるものとは何か。芸術性だけではなく、世の中の経済の状況、その時々の作家・作品の市場性や作品の状態、希少性、さらには由緒あるコレクターが所有していたなどの来歴が関係してくる。前述した《Shot Sage Blue Marilyn》では、銃で撃たれたという、作品そのものが持つストーリー性が評価に大きく関わった。

 では、コンテンポラリーアートやNFTアートなど今高い値段がついているものに、数十年後にも同じ価格が付くのだろうか。

 「それは誰にもわからない。価格の動きを予測するのは本当に難しい」と山口氏は話す。

 一方、2021年頃急激に値段が高騰したNFTアートは、2024年にはほとんどオークションで姿を見ることがなくなったという。投機的な要因が大きかったためとも見られるが、そもそも美術市場では常に変化の波が押し寄せており、特に現代美術の市場の動向や個々の作品の評価は数年で様変わりをするため、正確な予測するのは極めて難しいそうだ。

 しかし、コレクターが美術市場の荒波に翻弄されてばかりいるのかといえば、そうではなさそうだ。山口氏は、多くのコレクターと接してきた中で、次のようなことを話してくれた。

 「『自分は作品を一時的に預かっているだけだ』という思いで美術品を大切に保管し次世代につなごうという考えを持っているコレクターは尊敬できる」

 コレクターには愛があふれている人が多いともいう。中には壺と一緒に風呂に入る人もいるそうだ。コレクターが美術品を購入する目的としては、投機や資産の分散なども挙げられるが、やはり所有する美術品に愛を注ぐ人に出会えるのは、この仕事の醍醐味でもあるようだ。

注)日本円換算の落札価格は、落札された当時の為替レートに基づいた金額です。

                                                                                            取材・文=岩田和花
                                                                   撮影=多摩美術大学芸術学科研究室


山口桂(やまぐち・かつら)
1963年東京都生まれ。1992年にクリスティーズに入社し、日本美術のスペシャリストとして米国などで活動。2018年より日本支社であるクリスティーズジャパンの社長に就任。著書に『美意識の値段』(集英社新書、2020年)がある。












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