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病院帰り、日暮れの散歩

今日、事情があって初めて通う病院から帰ってきたら、緊張と不安がほどけて涙がぽろぽろこぼれてしまいました。

家族が心配して、もう日はとっぷり暮れているけれど、
”散歩、いかない?”
と誘ってくれました。

涙をぬぐって、いざ出発です。
近所の大きな河原を二人で黙々と進みます。


散歩って、ただ黙々と歩くだけ。
これまで、歩くことそれ自体にそこまで意味を見い出せなかったのですが、今夜の散歩はひと味違いました。

何も考えないで河原を歩くと、頭の中でぐちゃぐちゃになっていた「不安」と「心配事」が少しずつ明確になっていったのです。

頭から出てきたことは、そのまま言葉にして口から出し、隣を歩く家族に聞いてもらいました。

内容はおもに「健康状態」「お金」「見通しが立たない将来への不安」の3つでした。

”ああ、自分はこういうことで頭を悩ませていたのだな”ということが、歩くにつれて一つずつ明確になっていくかんじ。
暗かった目の前の風景が、段階を経てちょっとずつ明るくなっていくかんじ。
日が暮れて、真っ暗な河原にいるのに、まるで”今から夜明けが始まるんだよ”と、誰かにささやかれているような、そんな心持ちになっていきました。

大体の不安を外に出し切ったら、今度は「今の自分が手に入れていること」、「すでに持っていること」ばかりに目が向き始めました。

気づきはここから始まりました。
まず、
息ができている。
心臓が動いている。

それから、
身体を問題なく動かせている。
血がちゃんとめぐっていて、秋から冬に移り変わる肌寒さを感じられている。
河原の水の香りを感じられている。

となりには、私を一番に理解してくれようとしている人がいて、ずっと見守ってくれている。

月に数回、定期的に会える友達がいる。
帰れるお家がある。
あったかいお布団がある。

「ある」ことへの気づきと、もうすでに持っているものごとへの「感謝」の気持ちが湧き出て、止まりませんでした。

そういえば、先ほど行ってきた病院での検査で、身体に大きな異常がないことが分かりました。
お医者さんからもらった「大丈夫だよ」という言葉が、ある。
(検査で得られる安心感というものは、こんなに心を落ち着かせるのですね)


「お金がない」「スキルもない」「安定した生活もない」
ない、ない、と無いものばかりに目を向けても、そこには不安と焦燥しか生まれません。いいことが、ひとつもないのです。

たった少しの散歩の時間だったけれど、この少しの時間で”ない”ではなく”ある”ことだけに注目できる自分を取り戻せました。

家と外の寒暖差でくしゃみが何度も出たけれど、くしゃみという機能を発動できている自分に気づいてちょっと微笑ましい気持ちになりました。


誰しもちょっとしたことで落ち込んでしまうものだと思います。
むりやりポジティブに明るくいこうと気を張ることも、ひとつの尊い行いであると思います。

でもどうしても”もういやだ~”な気分から脱出できない時は、散歩をすると、いいことがあるかもしれません。

今回は私が落ち込んでいて、家族に散歩に誘われて、まんまと気分が明るくなりました。
家族が落ち込んでいる時は、今度は私が”散歩、いかない?”とさっそうと手を差し伸べたい。そう思ったおはなしでした。


いつも最後まで読んでくださるかた、スキ💛ありがとうございます。
「ありがたい」は「ある」のが「むずかしい」という意味。
たくさんのありがとうの気持ちをずっと持ち続けていきたいです。

珠田

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珠田ちょき
最後まで読んでくださりありがとうございます!読んでくださる方がいるということがとても励みになっています。これからも楽しく発信していきますのでよろしくお願いいたします。