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単純な想いに立ち返る

ここ数日は、先週末の三田でのLIVEを思い返す日々を送っている。折坂悠太もくるりもnever young beachもよかった。なんだかもやもやする春の、今のタイミングで聴けてよかった。

ネバヤンの『明るい未来』という曲を聴いたとき、体は揺れながらも鼻の奥はぐっと熱くなっていた。初めて生で観るネバヤンだから前の方で観たいと、同居人から離れてそそくさひとり前の方へ行ってしまったことを途中で後悔し、隣で聴けばよかったと思う。

生きていると、すぐに深刻ぶってしまうけど、本当は明るい未来の話が手放しでしたいのだし、いつだって「寒い夜には君と2人でふざけたダンスを踊ろう」という気持ちで過ごしていたいのだ。という想いが、聴いている間中ずっと浮かんでいた。複雑さに対峙しながらも、迷った時は単純な想いに立ち返りたい。という考えが最近の自分の中での流行りのようだった。

遠い世界のことや社会や政治や自分とは関係のない人の考えにも目を向けていたいけど……いや本当はとっくに辟易していて、自分の手が届く範囲以外のことになど目を向けたくなくて、もしかしたら、見ていなければ生活が脅かされると思っているだけかもしれない。

今朝の朝ごはんはなにを食べようとか、新しい本が出たから本屋さんへ行きたいとか、そんなことばかりを考えていたい。本当はとても狭い世界の中で生きていたいのかもしれなかった。

毎度のことのように選挙結果にがっかりしていたって生活は続くのだし、しょげてばかりいられないのだと言い聞かせる。

鬱屈とした話はそれくらいにして、今週は、柿内さんの『差異と重複』が手元に届き、わあと気分が上がったりなどもした。

2021年と2022年の1月1日からはじまる日記。並走した2年分の日記を読めるという興味深い作りの本なのだから、わたしも並走した月日に読みたい。それによって起こるかもしれない差異と重複を体感したいのだし、なんなら、自分もその試みに参加しているようなつもりで読んでみたとき、どんな風に感じるのか知りたい。うん、そんな風に読んでみたい……そうなると、わたしは2024年の1月1日から読みはじめるべきか、それとも2023年の4月まで急ぎ追いついてから読むべきか迷いに迷う。でも急ぎ読みはしたくない。悩む。

どんなふうに読むのが自分にとって最もたのしいのか考えているこの時間さえも、読む行為だと言えるはずで、手に取られたその日から、いやもっといえば、あの本読みたい!と考えはじめたその日から「読む」は始まっている。これだから本読みは、際限なくたのしいなぁ……でも悩むなあ。悩む。悩む。うーーむ。

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