片付けられない
これまで、才能について考える機会があったのを備忘録的にまとめてきた。
(ここで言う才能とは、自分がストレスなくできること、特性と言った意味合い。詳しくは前々回の記事参照。)
今回は前回の記事(上記リンク)で言及した
たかちんさんのINSIGHTS診断の一部をやってもらう側になって気がついたこと、感じたことをまとめておこうと思う。
なお、自分の分はメモをとっておらず、うろ覚えになりつつあることと、
診断してくださった「ぞ」さん(前記事参照)の言葉と、
その後、自分でその言葉を元に考え巡らして思ったことが明白に分けられない部分もある。
なので、なるべく思い出しつつ、
そしてどちらかというと、そこから考えが展開したという文脈で書いていきたい。
モノ作りと身体表現から見出す才能
まずはStudent診断
2人で交代しての診断だったのだが、私が自分の番で質問しすぎて残り時間が少なくなったのを頑張って引き出してくださった。
「どんな科目が得意でしたか?」と質問してくださったのに対して、
「日本舞踊、リトミック(モダンバレエ)、家庭科」あたりを答えたように思う。
それ以前もモノを作るのは好きで、保育園時代からリースやらを大量に作っていたこと、
そして、現在でも手芸は色々と続けていて、自分の必要なものを生み出すその余剰や、人から頼まれたときにお作りしていることをお伝えした。
おぼろげな記憶を頼ると、
そこから「作る」ということをより詳しく聞いてくださって、導き出されたのが、
ゼロから作るという作業ではなくて、必要な情報を集めてそこから一番自分にフィットする形を生み出していること。
私自身、今習い事で京舞(井上流)、仕舞(観世流)、茶道(裏千家)、煎茶道(東阿部流)、かな書をしているのだが、
どれも比較的古くから日本にあるタイプの習得の仕方で、
型を身につけていくために師匠について身体的な動作を繰り返すという手法をとっており、
そこを極めていくことによって、その人の個性を際立たせる自己表現につながるという性格を持つ。
どうも私がこの動きをまねて再現すること、そしてそれを自分らしく身体にインストールしたり、表現していくことが好きだし、得意なのだろうと思う。
モノ作りに関しても似たような手法を使っていて、
市販のもので自分にぴったりのものがちょうどよく手に入らない時、
・どんな素材や構造が自分の求めるものに近いかを調べる
・求めるものに近いものが、どう作られているのかを調べたり、読み取ったりして、自分の作りやすい方法と素材、構造に決定する
・作り始めて辻褄が合わないことに気づいたり、細部が上手く行かなくてもある程度目をつぶって、完成させることを優先する
この根底にあるのは、
なるべく自分の居心地のいい空間、モノを自然と求めていて、
市販のもので私に合わないもの、もう少し改善したら使いやすいなと思うところを見逃せない、自分がそれに合わせにいくよりは自分でよりフィットするものをできる限り作り出したいという思いがある。
また、手芸キットというものをこれまでたくさん購入し、作ってきた。
このクチュリエのキットがセンスがよくて、解説も丁寧なのでいろんなものを作ってきたのだけれど、私自身は指示書通りに作る、ということを目指しておらず、
その作り方をインストールするために求められるパーツを指示通りに作ってみて、
最終的には、それらを組み合わせて自分の好きな形に落とし込むことがほとんどだった。
やり方のインストールをするのが好き、得意という点では身体表現にしても手芸にしても共通しているような気がする。
不快だったことから導き出された価値観と才能
Intolerance診断では「腹が立ったこと、イライラしたこと」について聞いてもらった。
大学院出てすぐに就職した保育園に勤めていた頃、これまで基本的に休んだりしたことのない自分が2ヶ月ちょいでいけなくなる事態が発生した。
その原因の一つとなったイライラをお伝えした。
それは、
・一番近くて過ごす時間の長かった先輩が、私を個人として扱ってくれず、自分の長年の経験で培った「正しい」知識を伝えるのにちょうど良い、自分より地位の低い何も知らない人間として扱ってきたこと。
私としてはこちらが何も知らないとして全く意見を聞いてくれないことに加えて、自分のやり方でやれば良いと強いてくるのがとてもストレスだった。
書き始めたらもっと書きたいことが思い出されるのだけれど、今回限られた時間内でお伝えしたのはこの事例だった。
ここから抽出してくださったのは、
人を公平に扱うことができるので、そうでない人に腹を立てているのではないか、と言うことだった。
私自身、とても大事にしていることでもあったので、それが腹を立てた根本にあるという指摘はとてもしっくりと腑に落ちたし、初めての気づきだった。
才能が発揮される時
さて、
自分がこのような「才能」を発揮する時、発揮できない時について
いわゆる「発動条件」について
この診断会の後に少し考えをめぐらしてみたことをまとめて終わりたい。
最初に抽出した、やり方のインストールからの製作に関して言えば、
人から頼まれることによる製作スピードは、
自分で気が向いた時に作る時と、変わらないようで、
待っていてくれる人がいるのでがぜん進めたくなる。
そして、自分が生み出しうるクオリティーの最大限をそこに注ぎ込むようになる。(自分のものの場合は形になることを優先している)
これはある程度相手のことを信頼していたり、尊敬している時により強く現れるようだ。
私は自分にぴったりなものや環境をなるべく求めていて、
その条件が揃わないと動き出せないことがあるのだが、
そこに「大切な相手」が現れる時にちょっとしためんどくささ、違和感に目を瞑ることができて、スピード感とクオリティーが上がるのではないかと考えている。
例えば片付け。
私は作り出すのは好きなのだけど、片付けが苦手である。
しかし、家とは違う空間で過ごしている時は、散らかっていたら自然と身体が動いて片付けていたり、整理整頓にエネルギーを注ぐことができる。
外面というものなのかもしれないのだが、別に外にいる時に無理をしてそれを装っているわけではないのだ。
どうも人の役に立ちたいらしい。
以上、最近の自己分析だった。
Podcastを始めてから、よく考えを巡らせるようになって面白い。
それもまた、コテンラジオのコミュニティーのみなさんを始め、反応を返してくださるからという要素も大きい。