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神戸ルミナリエはノスタルジーの色
ルミナリエといえば、神戸の冬の風物詩。神戸の街が電飾で彩られる。関西圏にお住まいであれば、なじみのある方も多いと思う。
イルミネーションイベントといえばそうなのだが、ただのイルミネーションとは違う気がして。どことなく神聖な雰囲気があり、独特の空気をまとっているように感じる。
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神戸ルミナリエは、1995年の12月、阪神淡路大震災で神戸の街が甚大な被害を受けてから1年もたたない頃に始まった。
もちろん震災と深い関係があり、震災で犠牲となった方の鎮魂と復興への願い、そして震災の記憶の継承の意味が込められている。
こういう背景が、ルミナリエをどこか特別なものにしているのかもしれない。
ただ、私にとってルミナリエが特別な理由は、その社会的な意味だけじゃない。自分の思い出がつまったアルバみたいなもの。たぶんそれが大きい。
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記憶の限り、ルミナリエは私がはじめて見たイルミネーションだ。毎年というわけではなかったけれど、神戸の近くに住んでいた祖母に誘われてよく見に行っていた。
一度、祖母が点灯の瞬間が見たいというので、まだ明るい時間から人混みのなかでずっと待たされたのをよく覚えている。
小さい私は「てんとう(点灯)」の意味もわからなければ、背が低すぎてその瞬間を目にすることもできず……。結局そのときは何がなんだか分からずじまいだった。
時には近くにある中華街で買ったホカホカの豚まんをお供にしたり、一緒に行った従妹と2人でその辺の広場ではしゃいでいたり。そんなこともあった。
ルミナリエを眺めていると、そんないろいろな光景が脳裏によみがえってくる。そして同時に、その頃からの年月の流れを感じずにはいられない。
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幼い頃は、ルミナリエに行くなんてちょっとした旅行だった。奈良から電車を乗り継ぎ乗り継ぎ2時間ほどだろうか。子どもにとっての2時間はなかなか長い。長時間待った先にようやく見られる特別な景色だった。
それが今や、仕事帰りにひょいと寄れるぐらいになるとは。いつの間にか奈良と神戸が電車1本で結ばれ、私は私で長時間の移動に慣れっこになったし、思いがけず神戸で仕事をするようになった。
昔、ルミナリエの前でそれぞれの父親に肩車をしてもらいながら写真に写っていた従妹も私も、今や肩車が必要な子どもがいてもおかしくない年齢になった。
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あの頃の思い出と、時の移ろいと。
いろいろな人のいろいろな思いをのせたあの光に、私はそんなものを見ている。