帰り道の誘惑
子どもは道で色々なものを拾う。
目線が低いからだろうか?
通学路が長いからだろうか?
とにかく色々なものを拾う。
先日のこと。
小1末っ子が家の玄関を開けるなり叫んだ。
「まーまぁーー!!ちょっときてーー!!」
なんだ?いつもなら「ただいまー!!おやつは?」とズカズカ入ってくるのに。わざわざ呼ぶなんて嫌な予感しかしない。
「なぁーにー?」と玄関まで出迎えると、末っ子が何かを手に隠し持って、ニコニコしていた。
「あのね、これ、落ちてた!」
「うん……?」
え…?栗……?ていうか、
「 でっけぇ!!! 」
末っ子が拾ってきた栗の大きさに思わずテンションを上げてしまった。末っ子も何だか誇らしげである。
そういえば、現在小4の息子も2年ほど前に同じ実を拾ってきて見せてくれた事がある。あんまり目を輝かせて持ってくるから、家に飾ってあるシーサーの前に供えてあるんだった。さすが兄弟。同じような事をしよる。
そんな初代栗を思い出しながら
「すごいじゃん!お兄ちゃんが昔拾ってきたやつより大きいよ、コレ!」と褒め称えると、末っ子はますますニコニコした。
道に落ちているものを拾ってくる衝動、身に覚えがある。私も小学生の時はどんぐりとかナナカマドとかいい感じの枝とか、よそのお宅の敷地にあるツルツルした小石(※ダメです)とか、水たまりに張った氷とか、人ん家の軒先のつらら(※危険です)とかを喜んで持って帰った。
小学生の帰り道は大冒険だ。友だちと一緒にお話を考えて、登場人物になりきって帰ってたな。今思うと、私の空想の原点かもしれない。
それはそうと、私の頭の中に1つの疑問が浮かぶ。
すごく今さらだけど、兄弟が拾ってきたこれは本当に栗なのか??
栗にしては丸過ぎじゃないかしら?微妙に形が違うような…。野生の栗はこんな感じなのか…?うーん?わからん。
思い立ったが吉日。『木の実 栗 似てる』という、ふわっとしたワードで検索すると
出た。まさくこれだ。
検索したらすぐ出てくるやんけ。技術の進化に感心しつつ、「なるほどキミは『トチノミ(栃の実)』という名前だったのか。」と妙に納得する。
栗まんじゅうに似てるから、てっきり栗だと思っていた。思い込みはいけませんね。視野が狭くなる。
しかもトチノミは、かの有名な絵本『モチモチの木』になる実なんですって。これまた知らなかった!!
…この実が、あの美味しそうな食べ物に…!すごい!!ていうか
通学路に、モチモチの木がはえてるんだぁ……。(感動)
そもそも『モチモチの木』は、架空の木だと思っていた。「実際に存在する木なのか!」と、感動のあまり、遅れて帰ってきた小6娘と小4息子にも「通学路にモチモチの木ィはえてるらしーよ!!あの駄菓子屋んところ!!!」と教えてあげた。童心に帰り過ぎてうっかり脳が小学生に戻ったままだった。
でも2人とも「え?!まじで?!」と反応してくれたので満足です。
【次の日】
末っ子が帰ってくるなり、また玄関で叫ぶ。
「ままぁーー!!みてーーー!!」
「え?」
増えたね。
「今日いっぱい落ちてた!!」
末っ子の輝く笑顔がまぶしい。
あぁ。昨日みんなで「大きいね、すごいね、モチモチの木だってよ!うふふ。」と話したから、また拾ってきちゃったんだね……
かわいいなぁ、おい。1年生の道端でのトキメキ、大切にしたい。
「すごいねぇ、いっぱい落ちてるんだね」
こうして我が家にトチノミファミリーが誕生した。
長年うちを見守ってくれているシーサー達も、喜んでいるようです。
めでたしめでたし。
🌰🌰🌰🌰🌰
【数日後】
小1男子って、限度を知らないんですね☺️
こんな事を言うのは誠に不本意なのですが
さすがにもういらんわ!!!
《おしまい》
『モチモチの木』は、子どもの頃に読んだ時は何だか怖くてドキドキハラハラしましたが、大人になってから読むと、じさまの優しさや豆太の健気さに涙が出ます。
小学3年生の国語の教科書に載っているので、音読の宿題の時期がくるとどうしても泣いてしまう。年齢を重ねるごとに涙もろくてダメですね。大人になってから魅力を再確認した絵本です。
追伸。
小4息子のコロナは無事治りました。
家族内感染も無く、元気です。ハラハラしたー!!