空想お散歩紀行 人の心、刀の魂
「我が古の力、手に取る覚悟があるのだな?」
「ああ」
我の名前は妖刀・血桜。誰がいつこの名を付けたのか、もはや我でも覚えておらぬ。
数多の肉を斬り、血を吸い続けた刀身に我という意識が宿った。
我が行うは、ただ我を手にする者に覚悟を問い、応えれば力を貸すだけ。
過去何人もの人間が我が力に溺れていった。
地位ある者もいれば、庶民もいた。剣客もいれば、喧嘩すらしたことがない者もいた。男もいれば女もいた。
だが、終局はいつも同じ。皆、力に溺れ、あたり構わず力を振るい、そして自滅していった。
もう何人目の我への贄になるだろうか。今回もまた一人の男が我を手にし、我が呼びかけに応えた。
正直、そろそろ飽きていた。どんな登場人物だろうと、結末が同じ話など見ていて楽しいものか。
今回もまた同じだろうと、そう思っていたのだが。
「お~い、まだ暗いじゃねえかよ。まだ眠みいよ」
「何を言っている。もうすぐ夜明けだ。起きるのはいつものことだろう」
男は、文字通り何を寝ぼけたことを言っているのだという感じで、我の言葉を流し、朝の支度を始める。
最初は小さな違和感だった。我を手にした者は例外なく目の色を変えるというのに、この男はまったくそれが無かった。
まあ、時間の問題だろうと思っていたが、どうやら違うらしい。
今までの我の所有者は皆、食事の時も、寝る時も肌身離さず我を持っていた。我が力に魅せられ、この力を他人に盗られたらという恐怖からの行動だった。
だが、この男は我が身体はずっと床の間に置きっぱなしで、一日一回、我が身を鞘から抜いて数回素振りをするだけだ。
おかげで、我の魂はいつもこやつの近くにいるのに、身体だけは離れているという今までにあまりない体験をさせられて何とも心地が悪い。
どうやらこの男は相当心が強い類の人間らしい。常に自らの強さを心身共に鍛え上げることに心血を注いでいる。
我が力に溺れるのではなく、自分の力として使いこなそうとしているようだ。
そのために過酷な修行を自らに課している。
まず、毎朝日が昇る前に滝行をしている。
我はこれが大嫌いだ。
氷が直接刺してくるような冷たさの滝は我が魂にも伝わってくる。
当然だ、所有者の感じているものが我にも伝わらなければ、恐怖や戸惑い、力に溺れる陶酔感も我が感じることができないのだから。
だがおかしい。我が滝の冷たさを感じているということは、こやつも冷たいと感じているはずなのに、こやつは眉一つ動かしていない。
しばらくして分かったことだが、どうやらこやつは、滝を冷たいと感じてはいても、それを苦しみという感情に繫げていないのだ。
今まで我の所有者は我が身体を使って、誰かの肉を斬る感触や血を浴びる感触をその肌に感じる度に、心に大きな影響を及ぼしていた。
こんな人間は初めてだ。人間は自らを鍛えることで、何ができるようになるか見当がつかない。
もしかしたら、人間を呪うことしかできなかった我が力も、別の使い方をされる日が来るかもしれない。
それは退屈しきっていた我の魂に、幾ばくかの期待を感じさせるほどだった。
この男にはしばらく付いていても良さそうだ。
だが、この滝行は早く終わってほしい。
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