空想お散歩紀行 どんな場所でもこだわりを
重い金属製の扉が開く。最近調子が悪いのか開け閉めの時に少し嫌な音がするようになってきた。
でも、その音をくぐり抜ければ、そこにあるのは落ち着いたジャズの流れる空間だ。
増設に増設を重ね、もはや迷宮のようになったビル。その中の片隅にこのカフェはあった。
周りには同じように増設され無意味に思えるくらい高くそびえ立つビルが立ち並んでいる。
数多くの戦乱や天変地異が世界を襲い、人々が住める土地は限りなく狭くなっていった。
その僅かな土地に集まった人々が作っていったのが、このむやみやたらと増設された街である。
この街には緑の類は一切ない。あるのは金属と電気、油と血の匂いばかりが存在感を放っている。
法律のようなものはなく、いくつかのグループがそれぞれ勝手に掟を作り、ギリギリのところで秩序のようなものができあがっていた。
だが、ここが安全な場所でないことに変わりはない。
銃声を聞かない日なんてほぼ無いし、道端に死体が転がっているのも日常茶飯事だ。
そんな街の片隅にあるこのカフェは不思議と、この殺伐とした世界から切り離された異空間のようだった。
「いらっしゃい」
マスターが常連の客に声を掛ける。
「久しぶりだね、マスター」
「ええ、最近来ないからてっきり亡くなられたのかと思ってましたよ」
「冗談キツイね。お、これってクローン?」
常連客が指差したのは、カウンターの上に置かれていた鉢植えの植物だった。そこには黄色い花が見事に咲いていた。
「いえ、オリジナルですよ」
「マジかよ。よく手に入ったな」
壁も床も金属張り。天井にはいくつものパイプが走っているこの店内で、黄色い花はかなり浮いているように見えたが、不思議とその場を乱すことはなく、逆に花を中心に店の空気が作られているようにさえ思えた。
「ご注文は?」
「ああ、いつもの頼む。ここのコーヒーは時々無性に飲みたくなるんだよな。他んとこと違って混ぜもんが入ってないのに、中毒だよ」
「それが売りですから」
その後二人は、互いの近況を世間話と共に話した。途中、新たに客が入ってきて、同じようにコーヒーを頼んだ。
自分のルールを押し通した者が正しく、生き残るこの街で、血と硝煙の匂いを持ち込ませず、コーヒーの香りで空間を満たすこの店は、小さいながらも一つの正義の在り方だった。
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