空想お散歩紀行 スクリーンの中の世界
「マスター、私ずっと気になってることがあるんですけど・・・」
「ん?」
「あの部屋って結局何なんです?」
とある都市の中にある映画館。背の高い建物の中に隠れるようにひっそりと建ち、レトロな雰囲気を醸し出している。
家族連れやカップルが行くような大型商業施設の中の映画館とは異なり、話題作や人気作はほとんど上映していない。国内国外問わず、どこのだれが作ったかも分からないような映画が上映されている、本当に『映画』が好きな人向けの場所だった。
まるでチェーン店ではなく、こだわりのコーヒーを出す個人経営の店のように。
だからここの主のことを、皆がマスターといつの間にか呼ぶようになっていた。
そこに、あまり仕事が大変そうじゃなさそうだからという理由でバイトに入ってきた女子大生。
彼女は既にそこで働き始めて3ヵ月が経つ。思った通り、仕事はそれほどまで大変ではない。知っている人がほとんどいないようなマイナーな映画でもおもしろいものはあると気付けたことは思いがけない収穫だった。
そんな彼女がこの映画館で一番気になっていることがある。
ここには映画を上映するための部屋が3部屋ある。と言っても、それぞれの部屋は3、40人も入れば一杯になるような小さなものだ。
そしてもう一部屋、この映画館にはあるのだが、そこの扉は今まで一度も開いたことはない。
扉の形状からして、他の同じ上映室だと思われるのだが、そこにお客が入ったところを見たことが彼女には無かった。もちろん自分が入ったことも無い。
「気になってたんですよね、ずっと」
「ああ、あそこも上映室だよ」
やっぱり上映室なんだ、と彼女は思った。でもそれなら何で使わないのだろう。使えばもう少しは売り上げも上がりそうなものなのに。
そんな彼女の疑問を見透かしたかのように、マスターは言葉を続けた。
「あの部屋は特別なんだよ。利益度外視?ってやつ」
「いやいや、そもそも使ってないじゃないですか。利益度外視も何も」
呆れたようにツッコミを入れられるマスターだが、特に何も気にする様子は無かった。
「言ってみれば、愛の上映室かな」
「何ですかそれ。いかがわしさしか感じないですよ」
それっきりその話題は終わり、二人はそれぞれの仕事に戻っていった。
そして営業時間が終わり、映画館の中にはマスターだけが残る。
一人になった後で、彼は例の部屋へと入っていく。
中は他の上映室と全く同じ。こまめに掃除がされている。
部屋の正面には他と同じようにスクリーンがある。
しかし違うところがあった。それは、何かが上映されているということだ。
映写機がずっと動き続けている。部屋にだれもいないにもかかわらず、休むことなく、
マスターは客席のいつも決まった場所に座る。
そして正面にあるスクリーンを見る。
「お、あの二人進展があったみたいだね」
画面の中では仲睦まじい二人の男女が映っていた。まだどこかお互いに緊張をしているのが傍から見てとれるほどの初々しさがそこにはあった。
「良かった良かった」
マスターに自然と笑みがもれる。
しかし、今上映されているこの映像、そこには特にストーリーのようなものは何もなかった。
大勢の人間が代わる代わる映る。それぞれの登場人物は特に繫がりがあるわけでもなく、ただそれぞれの生活をしているようにしか見えない。
それもそのはず、この映画にはストーリーのようなものは一切ない。
正確には、物語のように一つの筋道がないのだ。
この映画に登場している者たちは、皆、今この世界にいない。
過去既に亡くなった人たち、彼ら彼女らの生前の記憶、魂の欠片のようなものが、何かの理由でこの部屋の映写機に取り込まれると、
スクリーンの中で実体化し、新たな人生をスタートさせるのだ。
スクリーンの外のマスターから見れば、単なる映像にしか見えないかもしれないが、中の彼らにとってはそこは紛れもなく、一つの世界だった。
マスターはこの、毎日の一人上映会が一番好きな時間だった。
そこには確かに世界があり、人生があり、心があったからだ。
今宵も、登場人物全てが主人公の物語を彼は一人楽しんでいる。
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