空想お散歩紀行 焚火屋
都会のただなかにその場所はあった。
それなりに広い土地には建造物は何も無く、背の高い木々が茂っており、ちょっとした森のような雰囲気を放っていた。
どこかのお金持ちが地主らしいが、かれこれ100年前からずっとこの小さな森はあったそうだ。
この場所に足を踏み入れると、都会の真ん中だというのに不思議とその喧騒は消え失せ、人里離れた山の中に瞬間移動したかのような錯覚を人は覚える。
1分ほど足を進めると、もうそこは森の中心だ。そこには木々は無く、円形の広場のようになっている。
そして広場の中央にあるのは、一つの焚火。
人々はこの焚火を求めてここにやってくる。
特に誰かが名付けたわけでははないが、いつのまにかここは「焚火屋」と呼ばれていた。
日が落ちて空を闇が覆ってから、次の太陽が昇ってくるまでの間、ここの火は燃え続けている。
一人の髭を口の周りに生やした中年の男が火が消えないよう一晩中薪をくべて番をしている。
彼は誰かがやってきた時も、また帰る時も特にあいさつはしない。ただ黙って火を守り続けている。
訪れる人も特にそれを男を気にする事もない。
焚火の周りに置かれた丸太に腰を下ろしている者、自分で折り畳みの椅子を持ち込んでいる者、ただずっと立っている者、多種多様である。
それぞれが持参した水筒のお茶や缶コーヒーを飲みながら静かに火を見つめていた。
ここにはそれぞれの人生があった。
スーツ姿の男は、どこか寂しそうな、何かを懐かしむかのような目で座っている。
まだ若いカップルは互いに話すこともなく焚火を見ているが、そこには未来に対する希望のようなものがあった。
話してはいけないルールなど無いのに、まるで薪といっしょに言葉まで炎に吸い込まれているかのように無言の静寂がその場を支配していた。
言葉だけではない、人の持つ喜びも悲しみも、不安も希望も、全てを差別することなく炎はそれらを照らし、そして飲み込んでいく。
炎が天に昇る熱と、薪の弾ける音が人の心の中へと入っていく。
今宵も、人生のちょっとしたポイントに辿り着いた人たちが、その足を少しだけこの焚火屋で止めていく。
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