物語の型にご用心
人は、物語の中で生きている。
と言うより、物語を作らないと生きていけないのかもしれない。
心理学者のハイダーという人と、その助手のジンメルという人が作った動画がある。
今から80年ほど前に作られた90秒程度のものだ。
https://www.youtube.com/watch?v=VTNmLt7QX8E
動画自体は単純なものだ。
一部が開く長方形と、
小さな三角と丸、
大きな三角が動いているだけ。
そう、ただそれらが動いているだけで、特に何も説明が無い。
それなのに、この動画を見た人はここに物語を作ってしまうのだ。
多くの人に共通して見られた物語の特徴は、
・小さな丸と小さな三角、大きな三角を人間として見たこと。
・小さな丸と小さな三角は恋人もしくは友人。
・大きな三角は敵。
もちろん、何の説明も無いのだから、他にもいくらでも解釈の仕方はある。
ここで重要なのは、人は曖昧なものに対して、何か意味がある物語という形を付けることで安心するということだ。
何か混乱するような出来事に出会うと、その混乱に形を与えるために物語を作る。
分かりやすいのは、被害者と悪と、正義の味方が存在する物語だ。
ポイントは、人はそれまで生きてきた人生の経験から、それぞれ違った「型」を持っているということだ。
クッキーの生地に対して、星の形をした型を使えば、星型のクッキーが、
ハートの形をした型を使えばハート型のクッキーができるように、
同じ出来事を経験しても、人によってそこから作り出す物語は変わる。
これによって、人は時に激しく対立したりするわけだ。
同時に厄介なことに、人はそう簡単に自分の型を手放すことはないし、疑うことすら中々しない。
なぜなら、その型が一番自分を安心させてくれると分かっているからだ。
安心というより、しっくりくると言ったほうがいいかもしれない。
何か自分に都合が悪いことが起きたとき、すぐにそれはよりひどい未来を呼んでくるに違いないと、考える人は多い。
ネガティブな思考というのは、物事に対して、
「悪い未来が訪れる物語」という型を使っているということだ。
その型は良いものではないが、その人にとっては一番「しっくりくる」わけだ。
だから、中々その型を捨てたり、変えたりすることが難しい。
物語は人を楽しませたり、希望を持たせる素晴らしいものであると同時に、人を絶望へと追いやる恐ろしいものでもある。
もし、ネガティブな思考が自分を襲っているように感じる時は、
それは、外側の世界から来るものではなく、自分の中にある、「物語の型」だということに気付くことが大切ではないだろうか。
自分はこういう型を持っているんだなと、気付くだけでもかなり違う。
星の形の型でクッキーの生地をくり抜いているのに、
どうして自分はハート型のクッキーが焼けないのだろうと嘆いているとしたら、相当マヌケな話だろう。
ここでさらにマヌケな話になると、ハート型のクッキーが焼けないのは、自分のがんばりが足りないからだと感じて、
星の形の型を使って、さらに大量のクッキー生地をくり抜くのだ。
このことを努力と呼んだりする。
何てたちの悪い冗談だろうか。
でも、こういうことをしている人は考えているより多いのかもしれない。
大切なのは、まず自分の持っている「物語の型」を見つめなおすことだ。
その後は自由だ。その型を捨てて、別の型に持ち替えてもいいし、
その型を使い続けるにしても、それによる結果の受け止め方は変わるだろう。
星の形の型を使って、星型のクッキーができることに慌てる人はいなくなる。
人は物語の中で生きている。
その物語を作っているのは自分であることに気付こう。
そうすれば、物語を使いこなすことができるかもしれない。
それがいいことかどうかはまだよく分からないが、
少なくとも、物語に自分が使われるようなことよりかはずっとマシなはずだ。
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