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空想お散歩紀行 最後の一かけらをめぐって

俺がトレジャーハンターになったのは、金が目当てというわけではない。いや、それももちろんあるが、それ以上に大きなものがある。
それは賞賛である。
難解な暗号を解き、過酷な環境に挑んで、その報酬を取ってくる。
それに対する人々の賞賛はすさまじい。
自分ができないことをやってのける人間というものに対する羨望はいつの時代も変わらない。
そのために俺は世界中を駆け巡り、お宝を探すわけだ。
だが、ここに来て人生一番のピンチを迎えている。
それはお宝に関することではない。
目的の物はすでに手に入れている。苦労はしたが、今自分の手元にある。
問題は、それが持つ意味だった。
今回俺が手に入れたのは、世界でも有名な大聖堂に飾られている絵画。
今から600年ほど前に描かれたそれは、全部で15枚組の物だ。
何か、神話とか宗教的な物語を描いていると言われているらしいが、俺はそのあたりは良く知らない。
肝心なのは、全15枚組であるこの絵画は現在14枚その大聖堂に飾られている。
一枚だけ欠けているのだ。
その欠けた一枚を今回俺が見つけ出した、というわけなのだ。
最初は誰もが喜ぶと思っていた。だが事は想像以上に複雑だった。
600年前に描かれた絵画。大聖堂に飾られた当初から欠けていた一枚。
その一枚を巡って、何百年も論争が繰り広げられてきた。
欠けた一枚は、真実を隠したかもしれないが、想像力は無限に広がっていた。
ああではないか、こうではないかと、数多くの者たちが議論を交わしてきた。
それの答え合わせが今、行われようとしている。
どうやらそれが都合よくない連中がいるようだ。
欠けた物語を自分たちで作ることで、教会内の権力を作り上げてきたやつらがいる。
そいつらにとっては、最後の一枚が出てくることで自分たちの威信が崩れる可能性がある。
このまま出てこないほうが安心できるというわけだ。
だから、数日前くらい前から俺は何度も命を狙われている。
もはややつらにとって絵を消すだけでは安心できない。既に俺は絵を見てしまっている。
そこから真実が広がるのを恐れているのだ。
まあ、今まで幾多のトラップをくぐり抜けてお宝を取ってきた俺にとっては、逃げることなんてなんてことないのだが。
ただ一度手にしたお宝を再び闇に返すわけにはいかない。それはトレジャーハンターとしての流儀に反する。
そういうわけで俺は今も逃げているわけだが、逆に希望もある。
真実を葬りたい連中がいるということは、真実を手に入れたい連中も必ずいる。
その最も有力な人物に今から俺は会いに行く。
見ていろ。俺はこれで歴史にすら賞賛される男になってやるのだ。

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