空想お散歩紀行 朝風呂に浸かりながら
少し熱めのお湯に肩まで浸かる。
「極楽極楽」
思わず声が出てしまう。だが、それを聞いている者は本人以外だれもいない。
今この浴場には彼女以外の客はいない。
「災い転じて福となすとはこのことね」
曇り防止の大型強化ガラスの外の景色を眺めながら彼女は呟く。
午前6時、まだ日が昇る前の、遠くに見える山並みの際がかすかに明るくなり始めた時間。
まだ暗くてはっきりとは見えないが、赤茶けた岩と土がむき出しの荒野。
その風景がゆったりと移動していた。
町型列車。ある程度の人間が集団で移動しながら暮らすことができる乗り物。
月の消滅。不規則な動きをする生物惑星の出現などにより、気候がめちゃくちゃになった地球は、定住するには不向きな星になった。
人々は常に、状況に合わせ移動しながら暮らす生活を余儀なくされた。
彼女も基本は車で移動しながら気ままな一人暮らしをしていたが、その車が故障していたところをたまたまこの町型列車に拾ってもらったのだ。
「足伸ばしてゆったり湯舟に浸かれること考えると、列車生活もいいかもね」
大勢の人が共同で住む乗り物は、その大きさゆえに設備が整っているものが多い。
「都市型船舶や飛行艇も悪くはないか。でも・・・」
それらの乗り物たちは自分で行き先を決めることができない。
彼女は自分の気分次第でハンドルを回す、車での生活がやはり気に入っていた。
「でも、ま、今はこのお風呂を楽しみましょ」
ガラスの向こうの景色に変化が訪れる。山の向こうから太陽が顔を出した。
「お、今日はナンバー3の太陽か。いいことあるかな」
太陽に照らし出され、明るみに出てきた大地は草木が一本も生えていない、どこまでも続く荒野。
だがそれでも、人は流れる景色を見ながら風呂に入る楽しみを見出す。
朝の浴場に彼女の鼻歌がこだましていた。
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