心に不法投棄
喜怒哀楽。単純に分ければ4つだが、人は実に複雑で多種多様な感情を表す。
楽しい感情が出ているときは何の問題も無いが、
怒ったり、悲しんだり、不安になったりする感情が出ている時は、実にイヤ~な気分になってしまう。
例え原因が自分以外にあったとしても、その感情を出しているのは自分自身なのだから、怒りも悲しみも不安も、気分の悪さが減るかと言ったらそうはならない。
何であんなに怒ってしまったんだろう、
何であんなことで落ち込んでいたんだろう、と少し時間が経った後で、今度は後悔なんかしちゃったりして、
何重にも、自分の心を曇らせて、雨ばかり降らせて、ちっとも晴れにしない。
そうは言っても、自分が感じていることなんだから仕方ないじゃないか。
と、思っていないだろうか。
やはり昔の人も同じことで悩んでいたらしく。
ヨガの哲学にはこういうものがあるそうだ。
人間の心とは、本来磨いた鏡のように清らかなものなんだけど、
時折、その心にいろいろ汚いものを思わせたりするのは、悪魔が心の陰で悪さをしているからだ。
こんな感じで、
つまり自分の心の中に浮かんだ、イヤ~な感じのものは、
自分の心の本当の思い方ではない、悪魔がやってきてイタズラをしているんだ。
確かにこれはいい考え方だと思う。
怒りも悲しみも不安も、自分のものだと思うから中々手放せないのだ。
長年、自分の手元に置いておいた服やら道具やらは、それがどんなに古くなっても、何となく捨てるのをためらってしまうことが、誰にでもあると思う。
でも、全く知らない赤の他人の、しかも何だか汚れてる物なんて、捨てるのにこれっぽちの躊躇もないはずだ。
悪い感情は自分のものとは思わない。
自分の心の中は本来綺麗なものしかない。
こんなふうに考えることで、自分の心を守っていたのだ。
時々、断捨離が話題に挙がってくることがあるが、自分の心こそ常に断捨離をしていかなければ、いらないゴミが溜まっていく一方だ。
悪魔がゴミを僕たちの心に不法投棄していっているのだ。
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