過去とは単なる映像
過去と呼ばれるものは、たぶん今この瞬間に頭の中で作られている映像や音なんだと思う。
確かに「それ」は体験したことだけど、体験した瞬間はもうとっくに終わっている。
昨日食べた晩御飯のメニューは覚えていても、今その時の味を完璧に説明しろと言われても、たぶんできない。
その時の体験は、目で見たものにしろ、耳で聞いたことにしろ、味にしろ、その時だけのものだ。
今、思い出すことができるものは思考が作り出した映像であって、過去そのものではない。
それはきっと大なり小なり加工されている。
嫌な出来事は大げさになったり、または小さくなった思い出になっている。
その瞬間に見たもの、聞いたもの、感じたことは、本当の意味でもう二度と体験することはできない。
記憶なんてそんなものだ。
だから、過去のことを思い出して苦しむ必要なんてない。
いや、必要はあるのかもしれないが、必要か必要でないかはたぶん僕たちで決められないことだ。
なぜなら思考というのは、勝手に湧いて勝手に流れて、勝手に消えていくものだから。
だからもし昔の嫌なことが、ふと思い出されて、何かもう恥ずかしくなって、消えたくなって、叫びたくなったとしても、
それ自体は悪いことではないのだ。
ただ、そういうのが流れてきただけだ。
眺めていればいい。
ああ、そういえばこんなことあったな、と。
それはかなり脚色された物語になっているから、
自分によく似た人が出ている、事実をもとにした再現ドラマくらいに思っていればいいかもしれない。
大切なのは、過去自分が何をしてしまったかではない。
今、それを感じている自分がいるということだ。
ただそっと静かにそれを眺めていれば、いつの間にか流れていく。
それでいい。ゆったりいこう。
過去のことで、今の自分を責めることなんてしなくていいのだ。
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