[週末雑記#3]社会的開拓者
「LIFE SHIFT」の続編が出たということで、1週間かけて読んでみた。1作目が出たのが2016年。2017年、周りでもいよいよ転職等にチャレンジする人が多くなってきて、色々本を読み漁っていた頃に買った本だった。懐かしくなって、自分はあの頃から、どう意識が変わったのだろう?と確かめる意味でも読んでみたくなり、購入してみた。
この機会に前作もさっと読み返してみたが、より具体的にアクションや提言に落としてくれているので「今から読む」という人は、この第二弾だけ読んでも良い気がする。
アメリカの社会批評家フラン・レボウィッツが幼少期「高齢者のことを異民族のように思っていた」と述べていたことは面白い発見だった。(この人って、未来から来た人だったんだろうか。)確かに社会情勢や状況が目まぐるしく現代で、自分たちの祖父母と、自分が同じような祖父母になるか?(なれるか?)と考えてみると、なれるわけがない。そもそも違う人間だし、生きている時代も背景も違う。(ある人がどのように老いるかを決める要因のうち、遺伝的要因の割合は4分の1程度に過ぎないらしい。)そりゃ、異民族みたいなものである。高齢者どころか、よく言うキャリアに関するロールモデルなんてものも、それを目指して、晴れて、その存在になれたところで、たどり着いたその「世の中」で通用するかわからない。昔のキャリア観を中途半端に、現代社会に持ち込まないほうが良いのかもしれない。
(※)
まだ見たことがない方がいたら、是非見てもらいたい。彼女を通じて、社会の見え方が少し変わること間違いなし。
年齢差別の観点(シリコンバレーでは年齢を問題にした訴訟が相次いでいる)に言及されているのも面白かった。年齢差別やバイアスは、どうやら世界中の頭脳が集まるシリコンバレーにおいてもなくなっていないらしい。。。
同じような問題だが世代でばっさりグラデーション分けて切っていくようなマーケティング、65歳以上を「シニア」として括るのも、意味がなくなってきているような違和感が常日頃あったが、がっつりそのあたりの話も取り上げられており、言及していてやっぱそうだよな、となった。
こんな世間のレッテルに踊らされている場合ではない。自分の父親一人を見ても、自分が昔、想像していた「シニア」とは違いすぎる。フルマラソンを完走し、スマホを使いこなし(最新のPixelらしい。どうやらAndroidの方が性に合うそうだ。iOSとAndroidの違いを認識しているシニアってどのくらいいるのだろうか。)、嬉々としてシルバー割引を活用しまくって、自分よりも最新のトレンドや映画に詳しい。友人や職場の両親の話を聞いても、同じような人は多いようだ。彼らはきちんと、あるべき「自己像」を確立して、日々を楽しんでいるのだろう。
少なくとも年齢を理由にするようなアクションや言動はとらないように心がけたいものだ。
また「企業が労働を消費している」のでスキル形成はもはや、個人の責任に依るものになったという話(学び直し自分でやろうね。その潮流いよいよくるよ、みたいな事)や、街づくり(≒コミュニティ作り/結局、街レベルで分断が進むよね)、人材採用における観点(履歴書や職務経歴書の観点古いよね、求職者のスキルを正しく把握して、優秀な人物を選抜する、という本誌は変わらないわけだから、そのスキルの証明の新しい形を模索しようぜ)、政治システム(ベーシックインカム含めた新しい世の中の形)などにも言及されており、とにかく、色々な問題が複雑に絡み合っていて、結局「社会的開拓者」として自分なりに考えて一方踏み出していこうぜ!それを応援しているよ!っていう結論で、とりわけ目新しい発見はなかったが、そのくらい過渡期である世の中に自分たちは生きていて、自分は、たまたま仕事で「社会的開拓者」になろうとしている人に沢山会う(社会的開拓者として生きている人たちと仕事もできる)事ができるのは「役得」なのかもしれないと考えるようになった。
たまたま社会人になるタイミングでは不動産デベロッパーを最初の仕事に選んだが、先人たちが開拓してきた街を「再開発」する面白さは、何にも代えがたいものだった。世の中に新しい価値を生み出すことが、ここまで社会貢献になるのかと感動した。長い人生経験として、その一端でも担うことが出来たのは仕事冥利に尽きる経験だった。
現在は多くの社会的開拓者に出会いその方が開拓している分野の奥深さや社会的意義を理解し、また開拓していきたいという前向きな気持ちを持った方に微力ながら貢献できる。そのコミュニティに感謝したい。
せっかく自分の名前にも、たまたま「拓」という漢字が入っているので、そんな開拓精神を持ち続けたいな、と思った週末であった。
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