ラオスの慣習的な考え方|年上を敬う
ラオス人であれ、同じ人間である。
僕の考えは国籍によって違う人間のように思うかもしれないが、実は同じでその頭の中に埋め込まれている”思考”が違うのだと思う。
だから、僕が違和感を感じたり疑問に思うことは
実は彼ら自身も同じように感じていたりする。
しかし、彼らはそれを口にすることができない。
その物事が正しいかどうかではなくて、「誰が」言ったのかが重要なのだ。
自分よりも年上の人に対しては敬わなければならない。
頭の中ではそれが「正しくないかも」しれないと思っても、それは正しいものとして処理しなければいけないという慣習的な文化がある。
これは、僕が一緒にラオスのサッカーに関して何かチャレンジを一緒に試みようと試みているラオス人のパートナーに教えてもらった。
彼自身も、ラオスから外に出てこれが世界では違うのだと感じたようだ。
だから、彼らが僕に対してぶつけてくれる本音は彼らが実際に公に発する言葉とは違う。
間違いがわかっていても、それを訂正することはならない。
なぜならそういう慣習的な文化だからだ。
わかっているのに、だ。