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#249 やらされる限界

みなさん、何か趣味を持っていますか?もしくはそれ以上に好きで好きでたまらないもの。

睡眠時間を削ってでも熱中してしまうものだったり、時間を忘れてのめり込んでしまうものがあるのって、実は幸せなことだと思います。

反対に、強制されてやる事って苦痛を感じませんか?

やらされるという事

「やらされていること」と「やっていること」が同じことであっても、そこにある本人の気持ちには大きな違いがあります。

やらされていることは、強制されていやっている事です。

では、やらされるということはどういう状態かというと、

目的なしの目標に向かっての努力は、やらされているということになると思います。

やらされることに関しては強制されてやらされているため、

一時的に力がついても、その期間が終われば時間と共に消え失せていきます。

例えば、サッカーで言えばシーズン中には頑張るけれど、

オフシーズンには何もしなければ成長はしないと思います。

もちろん休むことも大事ですが、本人がやる気を持ち、

成長を目指して取り組んでいることであれば、休んでいることであれ必要だから休んでいるのです。

やりたいという事

「やらされる」と「やる」の違いには、やる本人に「目的」があるかどうかなのです。「やりたい」となると本人が希望して取り組むことです。

あなたが今やろうとしていることには「目的」がありますか?

目的がないと、目標はできないと思います。

それでも、目標ができるという人は、もしかするとその目標は自分のものではないかもしれません。

「やらされる」と「やりたい」の違い

日本では同調教育によって、小さい頃から周りに合わせる生き方を、

教育という建前の元に叩き込まれてきているといえます。

そうすることによって自分のうちに秘める感情やこだわり、情熱というのに対して敏感でなくなってしまっているかもしれません。

自分で気づいて努力するのと、人から言われて努力「させられる」のでは、意味が全く違います。

そして、やらされる環境に慣れてしまうと、「やらせる人」がいなくなった時に、

人はその環境に適応できません。

自分が望んで、心から目指したいという目的を持ちそれを目指しましょう!


まとめ

自分がいやいや感じているところに成長はありません。

人にやらされて努力することに関しては限界があります。なぜならその成長はあなたが望む成長ではないのですから。

教える側も、「正しい」を教える前に「楽しい」を教えることが必要ではないでしょうか?

自分が本当にやりたいことであれば、苦しいことであれ、なかなかうまく加なかったとしても継続することができると思います。

そういうものが、人生を豊かにしてくれるものではないでしょうか?

僕は、サッカーが大好きですが、それによって失敗もたくさんしてきました。

でも、世界を知ることができています。

そして、現在のコロナウィルスの対策によってスポーツは厳しい状況になっています。僕のいるラオスではサッカーを自由にすることは禁じられています。

だけど、それでもサッカーが再びできるようになるということが僕の希望です。



何か一つでも、自分が心からやりたい事に情熱を注いでみてください。

人にやらされることではないから、無限に可能性が広がると思います!

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