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巻き込みたい先生、巻き込まれたい生徒【2022英語科教育法I #2】

英語科教育法Iの第2回。
今日から模擬授業&対話型模擬授業検討会がスタート。

まず、初めての模擬授業にファーストペンギンとして飛び込んでくれた学生に心から感謝、敬意。

彼が模擬授業のテーマに選んだのは「should / ought toの用法」

初めての模擬授業、お疲れ様!

結構理屈でしっかり説明したいタイプの彼は事前に今井(1995)『英語の使い方』の助動詞の章を読んできて、shouldの「義務」の用法と「推量」の用法を首尾よく整理して、既習事項の確認、新たな学習内容の提示、練習問題と小気味よく授業を展開した。

生徒役も「工業高校のオラオラした感じの2年生」という難しい要望にそれぞれの解釈のもとでしっかり応えてくれた。少なくとも大学生である自己を一旦脇において「生徒役」をきっちり務めようとした素晴らしいパフォーマンスだった。

ナイス生徒役!

授業が終わっていよいよ対話型模擬授業検討会。
(教師役の学生は私がホワイトボードを用意する間に自販機に飲み物買いに行くぐらいの疲れよう。見事、出し切ってくれた。お疲れ様!)
対話型、もちろんみんな初めてだし、2年生3人、3年生2人という学年を跨いだメンバーでもあるので、多少の緊張感もあったが、それでも私は初回からかなり実りある検討会ができたのではないかと思う。

書記兼司会の私のハンドライティングが酷いもので、ホワイトボードが全く映えないのが申し訳ない。

正面から撮りなよ。

先生のWANT—笑顔になってほしい

「この授業で生徒にどんな風になってほしかった?」という検討会スタートのきっかけとなる問いに対して、「笑顔になってほしい」という教師役の学生(以下、A先生)。「分からん」から「分かった!」になった結果の「笑顔」がゴールだと言う。

そのためにA先生は「生徒を巻き込みたい」と考えて、(リアルな大学生として日頃から気心の知れている)Bさんを中心に全ての生徒を1回以上「指名」することを意識した。

一方、明らかに指名される回数が多かったBさんは「めんどくさかった」「他の人も当てろよ」と思っていたようだ。
A先生にはBさんとの関係性からくる安心感が大いに働いていたわけだが、A先生がそこに安心感を求めたくなったのは想定していたよりも教室が「静か」で「焦った」ことが影響していた。

では、その「静か」な教室はどのようにして生まれたのか。静かな中、生徒たちは何を考えていたのか。

生徒のThink—分かんねぇな

should(やmust)の意味として「義務」と「推量」という言葉で説明されたが、生徒Bさんは「推量ってなんだろう?分かんねぇな」となってそこから先は「なんとなく分かってる風」で時間を過ごしていたと言う。
たまたま私がBさんの手元が止まったのが気になって記録に残したのが下の写真だ。

Bさんの手元

「義務と」まで書かれて推量という言葉が出てこないまま彼の手はここでしばらく止まっていた。一方、隣の席のCさんはスライドに出てくる説明や例文をとにかくノートに書き写そうとしていた。

Cさんの手元

ただ、このCさんは「書いている間にスライドが変わった」と検討会で言っていて、更に大事なことに、それを授業中には言わなかった。
先生のペースで進んでいく授業に対して、自分のペースが間に合わないことを意見出来ず、結果的に分からなくなり、授業への気持ちを失っていった。

同じような気持ちはDさんにも。授業冒頭から文法用語や「義務」「推量」といった「難しい言葉」が出てきて、「分からん」となってしまい「眠い」に至った。
Dさんが「分からん」となったことまでは実はそれで良かったのだと私は思っている。なぜならA先生は「『分からん』から『分かった!』になって、笑顔になってほしい」という願いを持っているからだ。最初から分かりきったことを教えて「今日の授業楽だったわ〜」という笑顔が欲しいわけではない。
「分からん」からスタートする生徒たちがどうやったら「分かった!」に辿り着けたのか、そこを考えるのはひとまずA先生に任せよう。

生徒のWANT—巻き込んでほしい

今回の検討会で最も印象的だったシーンの一つが、Eさんが「巻き込んでほしかった」と語ったシーンだ。
この言葉からまず分かるのは、先生と生徒のWANTが見事に噛み合っていることだ。先生は「巻き込みたい」と思っているし、生徒は「巻き込んでほしい」と思っている。
しかしEさんの言った「巻き込んでほしかった」という言葉は、「巻き込んでもらえなかった」という実感から出て来ている。なぜA先生は生徒を巻き込みたいと思っていて、生徒も巻き込まれたいと思っていたのに、巻き込むことができなかったのだろうか。

A先生は生徒を巻き込むために(Bさんに多少偏ったが)全員を指名するという手段を取った。(教師のDO)
それに対して生徒側は「みんなでとか、ペアで話すとか」(Eさん)、「相談したり調べたりする時間が欲しかった」(Bさん)という。(生徒のWANT)

「生徒を巻き込む」「授業に巻き込まれる」というお互いの願いは一致しているのに、そのための先生の行動の選択は生徒には巻き込みとは受け取られなかった。

授業に「巻き込む」「巻き込まれる」とは、さて、何なんだろう。

少々のデジャヴ感と、絶対的な違い

と、まぁ全体的に生徒(役)からの声は(あたたかくも)厳しかったわけだが、大学2年生にして初めての本格的な模擬授業だ。しっかり準備に時間をかけてやりきったこと自体に拍手喝采、スタンディングオベーションが送られるべきだろう。

今日の模擬授業を見ていて、7年前、大学2年生の後期、冬休みが明けた1月に英語科教育法IIIで行った若かりし頃の私の模擬授業を思い出した。
テーマこそ違った(私は比較級・最上級だった)が、授業の展開は似たようなものだった。分かりやすい(と自分の中では思っている)文法説明から入って、具体的な例文を通してそれを練習して、最終的には比較級の文が作れるようになるという感じの授業。
その模擬授業では生徒役は英語科の同期約20名。
それまで一人としてスライドを使って授業をしてこなかったことから、授業後には「パワポ(ICT)を使ってて良かった」といった1ミリも中身のないコメントも沢山もらった。一番多かったのは「説明がわかりやすかった」というコメントだったと思う。当たり前だ。尖り方を間違えていた当時の私に対して同期たちは「分かりやすかった」というコメントを書いておけば私の自尊心を傷つけずに穏便に済ませることができた。
そして、実際本当に「分かりやすかった」のだと思う。生徒役をしていた同期の多くは恐らく大学生としての自己を脇に置いていなかった。それは彼らの責任ではなく、その授業を担当していた先生からそのような模擬授業の受け方を教わっていなかったのだから仕方ない。私自身も(大学生としての自己どころか)批評家のように他人の模擬授業を「査定」していた。
文法説明を得意とする大学生が中学レベルの文法を説明し、それを英語科の大学生が英語科の大学生として聞くのだ。分かりやすいに決まっている。

当時の私達とほぼ同じ年齢の彼女たち。今日の模擬授業を受ける構え、その過程での思考、そして検討会でのコメントの質。
どれを取っても7年前私が経験したものとは比べ物にならないほど良かった。このメンバーで一年間大きく成長していけることを今日で確信し、これまで以上に来週からの授業が楽しみだ。

学生は「自分の模擬授業が怖い…」となってるけど、自分達が鋭いコメントしちゃうんだもん、仕方ないよね(笑)。

Core Reading

模擬授業と検討会だけでなく、後半は講義もそれなりにしている。
次回は第2言語習得研究を概観して、英語学習に成功するとはどういうことかを検討する予定。
全員必須の文献は、
新田(2019)『「英語の学び方」入門』pp. 2~12

学生らがこれから出会う生徒たちの多く、そしてもしかしたら学生たち本人もどこかで願い求めているかも知れない魔法の英語学習法の存在を冷静に否定してくれる。
その一方で、第二言語習得研究の知見を教室に活かす可能性について(興味があれば)ここから広げていける。
そっちはそっちで面倒な道が待っているかも知れないけれど…。

Further Reading

興味あったら読んでね、という文献としては
柳瀬・組田・奥住(2014)『英語教師は楽しい—迷い始めたあなたのための教師の語り』pp. 37~43.

胡子美由紀先生執筆の第6章「英語を通してクラスと人間を育てる楽しさ」を採用。
初回授業で複数の学生が生徒の英語力云々以上に、英語学習を通した人間的成長への興味・関心を口にしていたことが決め手。

教員の採用についてかなり強く憤りを感じざるを得ないニュースも出て、「本当に教師でいいのか?」という思いがあってもおかしくない。
そういう気持ちを覆い隠そうとしたり、彼女たちに教師になることを強いることは絶対にないけど、自分の想いがブレた時にブレたまま何かを判断するのは良くない。ブレた心を一旦整えてくれる本として「他の章も読みたい」の声を期待しながら。

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