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感情表現の乏しい日本の英語教育に比喩の力を...!

先日,関西大学外国語教育学研究科 英語教育連環センター(e-LINC)主催講演会にてイギリス・バーミンガム大学のJeannette Littlemore先生Creative Metaphorに関する講演を聞きました。

Jeannette(お世話になった指導教員への敬意と親しみを込めて下の名前で呼びます)は僕の修士論文の指導教員でもあり,バーミンガム大学時代(なんなら行く前から)大変お世話になりました。
そんな恩師の講演を(オンラインですが)日本で聴けるということでワクワクでした。尚,日本の中高の英語教師でこれを聴きに行く人間はほとんどいないだろうと思っていましたが,その読みは外れていなかったと思います…。

Creative Metaphorとは

この講演では主にCreative Metaphor (創造的な比喩)に焦点が当てられていましたが,そもそもCreativeではないMetaphorとは何なのかというとConventional Metaphor (慣習的に使われる比喩)というやつで,例えば,

「光陰矢の如し」

みたいなことわざみたいなのが代表的で,もっと日常的な会話で使われるもので言えば

「背伸びをする」

というのが現状の自分の力より少し上の(この「上」もメタファー)ものに手を出す(「手を出す」もメタファー)みたいな意味で使われますね。こういう一定の言語コミュニティの間で定着しているもはや比喩だと思って使っていないような比喩表現のことをConventional Metaphorと言い,そうでないオリジナリティ溢れる比喩表現のことをCreative Metaphorと呼んでいると考えて差し支えないでしょう。CreativeかConventionalか明確に白黒つけられるものではなく,グラデーショナルなものですので,creativeと取るかconventionalと取るか迷うようなものもありますが,少なくとも本記事を読む上では上に書いた説明以上の理解は必要ないかと思います。

本講演のおもしろポイントは

人はなぜCreative Metaphorを使うのか

という問いの設定にあります。認知言語学的なメタファー研究としては「人はなぜConventional Metaphorを使うのか」という問いの方がおそらく主流です。つまり上の「背伸びをする」の例で触れた,「上」とか「手を出す」とか普段メタファーだと思わずに使っているメタファー表現は,どういう認知メカニズムで生み出されるのかという研究です。言い換えると,なぜ自分の能力ではまだ足りない部分のことを人は「上」と捉えるのか,みたいな問題関心があるわけです。これはこれでとても面白いテーマで,自分も学部3年の冬にメタファーという研究テーマに出会った時,こういうことに特に強い関心を持っていました。
こういうテーマに興味があるなぁという人には必携の歴史的著作と,それを読むのがしんどそうな人への簡単な入門書の情報を本記事の末尾に置いておきます。

話を戻すと,Jeannetteは人がCreative Metaphorを使う際の認知を解明しようとしています。

「Creativeなんだからその場その場で考えた表現なんだし,そこに共通する認知メカニズムなんて本当にあるの?」

というのが言語学が好きなだけの素人・かわむらの発想ですが,Jeannetteをはじめとする世界中の優秀な学者達が提供してくれるめちゃくちゃ面白い世界にこの後どんどん引き込まれました。(この「引き込まれる」もメタファー)

Creative Metaphorと感情/行動

Jeannetteとその共同研究者らは癌などの病気を患った人達の発話を記録し,そこに見られるメタファー表現を分析しました。例えばある癌患者が病状について語るとき,

"Dance with me" cancer commanded ...

という発話を残しました。
ここで問題発生です。今回の講演全体に言えることなのですが,1時間弱という限られた時間の中でだいぶ駆け足だったこともあり,発話速度の面でも例として挙がるメタファー表現の理解の面でも,自分はかなりついて行くのに必死で,紹介されたCreative Metaphor一つ一つが正確にどんなことを意味するのかよく分からなかった部分が多いです。仕方ないので勝手に解釈します(笑)。

恐らく上で引用したメタファーは,「癌のせいで身体が落ち着かない」みたいなことを言いたいんだろうと思います。身体をじっとしていられない感じを癌がダンスに誘ってくる(一緒に踊れと命令してくる)と表現しているわけです。多分。

次の例は分かりやすいです。

Head, back, limbs, fingers, toes all screamed

「頭,背中,手足,指,つま先,全部が叫ぶんです」

身体中の疼くような痛みを,各部位を擬人化することで表現したメタファーと言えるでしょう。

この研究の結論(といってもまだまだ仮説の段階でしょう)として導かれたのは

人は行動より感情を語るときにCreative Metaphorを使う

ということです。

(思い出したくもないですが)自分の学部の卒論で日本人英語学習者のメタファー使用を分析した際には(Conventional/Creativeの別は考察に深く組み込みませんでしたが),抽象的概念についての文言にメタファーが多く見られたという結論を導きました。言われてみれば当たり前な感じがしますね。
行動/感情も具体/抽象と置き換えれば妥当な結論だと思いました。というか,自分の卒論の結論がちゃんと妥当なものだったんだろうと。

Creative Metaphorとポジティブ/ネガティブ

一口に感情といっても色々あります。ここではポジティブな感情とネガティブな感情という二つの種類の感情に大別します。

そしてこれもまだまだ仮説の段階ですが,

ポジティブな感情よりもネガティブな感情の方がCreative Metaphorで表現されがち

だそうです。

EmotionとEvaluation

ポジティブ・ネガティブの話を掘り進める(これもメタファー)前に(実はこの「前」もメタファー),EmotionとEvaluationの話がちょっと重要になります。
ここもかなり一瞬で説明されてしまってきちんと理解できているか自分でも不安なのですが,一応理解できたと思っている範囲で書きます。

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このジェットコースターが今にも下り坂に入ろうとしている瞬間の画像を見て,あなたはどう思いますか?

「楽しそう」「ジェットコースター乗りたい」と思った人もいれば,「怖い,無理」「ここまで読んでやったのにこんな画像を見せるなんて,どんな嫌がらせだよ!」と思った人もいるかもしれません。ごめんなさい。

でもそこには多くの人に共通して「ドキドキ」とか「ハラハラ」とか,この画像から喚起される高さとスピードのイメージから何かしらの心理的な変化をがあるはずです。これがEmotionです。

対して,上に書いた「楽しそう」とか「怖い」とか,そういう一人一人違った感じ方,これがEvaluationです。

そして,研究の結果より正しそうだと考えられているのは,

Creative Metaphorの使用のカギはEmotionではなくEvaluationである

ということだそうです。
ある感情(Emotion)をポジティブ・ネガティブに分けるのがEvaluationだと考えると納得感はあるでしょうか。確かに落ち込みそうな時に「ポジティブに捉えよう」などと言ったりしますが,それはポジティブ・ネガティブはコントロール不能な感情(Emotion)ではなく,自分自身の考え方次第で変わる,状況に対する評価(Evaluation)だと考えられます。

ここで具体的な研究成果を紹介します。
まずは映画のレビューの中に現れるメタファー表現を分析した研究です。この研究では以下のことが結論として導かれました。

・Creative Metaphorの方がConventional MetaphorよりもEvaluationに言及しがち
・メタファー的な表現はそうでない表現よりもネガティブなことを語りがち
・ネガティブさについては,Creative/Conventional Metaphorの間に差はない

また,職場に関する話におけるメタファー表現を分析した研究では以下の結果が出ました。

・Creative Metaphorの方がConventional MetaphorよりもEvaluationに言及しがち
・Creative Metaphorの方がConventional Metaphorよりもネガティブ

上の2点目が映画のレビューの研究との決定的な違いです。
Jeannetteらメタファー研究者たちはこれを「仮説」として今後も様々な文脈や言語タイプにおける研究が進めていくようです。

共感覚とMetaphor

共感覚というのは

文字や数字に色が付いて見えたり、音を聞くと色が見えたりするなど、通常の感覚に加えて別の感覚が無意識に引き起こされる現象

です。

共感覚の人のメタファー理解とメタファー使用について調べた研究の話がとっても面白かったので,(理解できた範囲で)簡単に紹介します。

被験者に「この表現,メタファーだと思いますか?思いませんか?」という質問をする実験では,共感覚ではない人が「メタファーです」と答えた多くの表現に対して共感覚の人は「メタファーではありません」と答える傾向にあることが分かりました。
講演ではこの現象の解説自体はあまり触れられませんでしたが,おそらくメタファーの認知メカニズムで説明できるのだろうと思うので簡単に書いておきます。

メタファーには,「喩えられるもの」(ターゲット・ドメイン)「喩えるもの」(ソース・ドメイン)があります。結構前の話になってしまいましたが,ラグビー日本代表が南アフリカに勝った時,その凄さがピンと来ない人のためにラグビー経験者らがこぞって色々な喩えを挙げていました。「桐谷美玲が吉田沙保里を倒した感じ」などです。
また,Jリーグにイニエスタが来るという凄さを伝えたかったサッカーファンは「一人暮らしの大学生が作るキノコ炒めにマツタケが入った感じ」とか「地方国公立大学のミスコンにエマ・ワトソンが出る感じ」とか言ってました。

「日本が南アフリカに勝つ」「Jリーグにイニエスタが来る」というのが,メタファーを通して説明したい対象 (=ターゲット・ドメイン)です。その説明のために「桐谷美玲が吉田沙保里に勝つ」「学祭のミスコンにエマワトソン」といった他の人に分かりやすい素材 (=ソース・ドメイン)が使用されます。

さすがに卑近な例すぎるのでもう少し学術的な説明を加えておくと,「人生は旅だ」というメタファーにおいて,「人生」という概念が理解したい・させたい対象(ターゲット・ドメイン)で,「旅」はそのために使用される素材(ソース・ドメイン)になります。
また,もう少し深掘りすると「人生は旅だ」は「概念メタファー」(Conceptual Metaphor)と呼ばれるもので,多くのメタファー表現を生み出す母体のような存在です。
つまり

私は人生の岐路に立たされている

とか

こんな人生になるはずじゃなかった。どこで道を間違えたんだろうか…。

とか

人生は長い。未来に向かって一歩ずつ歩いて行こう

とか,全部「人生は旅だ」という概念メタファーから生み出されるメタファー表現と考えられるわけです。

話を戻すと,我々がある表現をメタファーであると判断する時,「〇〇が××に喩えられている」と認識していることになります。もっとも,あまり難しく考えずとも「癌が踊ることを強いてくる」という表現に対して「あ,擬人化されてる(=癌が人間に喩えられてる)な」と理解できればいいわけです。
つまり,我々がある表現を見聞きした時にそれがメタファーだと判断できるかどうかは複数の異なる概念間の結びつきを認識できるかどうかに依るわけです。

これは共感覚の人には確かに難しいはずです。なぜなら,共感覚の人は文字が色と結びついたり,数字が音と結びついたりしていて,それは全て無意識的な感覚だからです。つまり,二つの異なる概念を分けて理解することが難しいのです。

また,もう一つ面白い研究結果があります。

共感覚の人はターゲット・ドメインとなる感覚とソース・ドメインとなる感覚を自由に入れ替えられる

のです。意味不明ですね。

以下の7つの表現を読んでみてください。

(1) なめらかな味
(2) あまい香り
(3) あかるい声
*(4) あかるい味
*(5) くらい匂い
*(6) 高鳴る色
*(7) あまい肌触り

(1)~(3)は特に問題なく理解でき,一方アスタリスクの付いている(4)~(7)の表現は多くの人がおかしいと感じるはずです。

これらは全て人間の五感を使ったメタファー表現です。(1)~(7)を「何が」「何に」喩えられているかの順に見ていきましょう。「何が」がターゲット・ドメイン,「何に」がソース・ドメインとなります。
(1) なめらかな味 -> 「味覚」が「触覚」に喩えられている
(2) あまい香り -> 「嗅覚」が「味覚」に喩えられている
(3) あかるい声 -> 「聴覚」が「視覚」に喩えられている
*(4) あかるい味 -> 「味覚」が「視覚」に喩えられている
*(5) くらい匂い -> 「嗅覚」が「視覚」に喩えられている
*(6) 高鳴る色 -> 「視覚」が「触覚」に喩えられている
*(7) あまい肌触り -> 「触覚」が「味覚」に喩えられている

日本語でも英語でもほぼ共通する傾向として,五感を使ったメタファーはターゲット・ドメインとソース・ドメインに一方向性が認められるのです。

具体的に言うと,五感の修飾・被修飾関係は,触覚 -> 味覚 -> 嗅覚 -> 視覚 -> 聴覚の順番に固定されているのです。

つまり,最も具体的に感じることのできる「触覚」を利用してそれ以外の感覚を説明することはできても,聴覚という曖昧性の高い感覚を使って「響く手触り」などと触覚を修飾することはできないわけです。(山梨, 1988, pp. 58-60)
注: 山梨(1988)の該当箇所には異なる意味で「共感覚」という言葉が使われています。お読みになる際には意味の混乱にご注意ください。

本題に戻りますが,この一般的に多くの言語使用者に当てはまる五感の修飾・被修飾関係の順番を,共感覚を持った人はまるで無視して使えるんだそうです。我々には「あかるい音」(視覚->聴覚)とは言えるけど,「高鳴る色」(聴覚->視覚)とかは言えないのに対して,共感覚の人の中には「ポンッていう色」(聴覚->視覚)などと言えてしまう人がいると考えられるわけです。

Creative Metaphorに対する聞き手・読み手の反応

Creative Metaphorを読んだり聞いたりした時,それに対してどのような反応が示されるのかを調べた研究があります。
例えば,以下のような3つの表現があったとします。
(8) 「死とは安らかな眠りです」
(9) 「教育とはあたたかな光です」
(10) 「政府とは愛らしい絵です」

上の(8)~(10)の表現に対して,
① 意味が分かるかどうか
② メタファーとしてどれぐらい質が高いか
③ 人間が自然に発したメタファーだと思うか
という3つの観点で読者のみなさまも是非評価してみてください。

(8)のようなもはやConventional Metaphorと言ってもいいような,ある種ありきたりなメタファーは①~③の項目でそこそこの評価を勿論受けます。(だからこそ多くの人に使われてConventional Metaphorになったと言えます)
一方,(10)のようなよく分からない,奇抜すぎるメタファーはあまり好まれないことがわかりました。
結論としては,当たり前のような気もするのですが,

「適度な革新性を持った」(optimally innovative)メタファーがCreative Metaphorとして質が高い

とのことでした。(9)がその例です。

また,ターゲット・ドメインとソース・ドメインが一見結びつかないような遠いイメージを持ったメタファーで,かつ意味が理解可能であると非常に好まれるようです。

「結婚は地獄だ」みたいな例が挙げられていましたが,これが多くの人の共感を呼ぶとはまさにEvaluationがCreative Metaphorの使用・理解と深い関係にあることを示す好例かもしれません。

メタファーの話から逸れてしまうのですが,作家の有川ひろさんの小説にはイメージの遠い言葉が使われていて,それが人の興味を引くんだ的な話をどこかで聞いたことがあります。

『図書館戦争』(図書館なのに,戦争!?)
『三匹のおっさん』(おっさんなのに,三匹!?)
『フリーター,家を買う』(フリーターなのに,家を買う!?)
『空飛ぶ広報室』(広報室なのに,空を飛ぶ!?)

久々に大好きな『海の底』を読みたくなりました。タイトルは普通ですが,全ての日本男児に読んでほしい小説です。

英語教育への応用—感情表現を豊かにするCreative Metaphor

この講演会は比較的こじんまりとした人数とは言え,自分以外の人はほとんどがガチの研究者だったぽいです。認知言語学会で見た覚えのある方や書籍や論文にだいぶお世話になった方もいました。
そんな中でかなり緊張したのですが,修士課程の指導教員に直接ご挨拶しないほど自分も無礼ではないのでものすごいスピード感の講演に喰らい付きつつ,質問も考えていました。

日本の英語教育では生徒の知っている感情表現がhappyとかsadとかangryとかしかなくて,感情表現の手段がすごく乏しいことを自分は最近問題視しているんですけど,そういう状況に対して何かCreative Metaphorの観点からヒントをいただけますか?

質問とは名ばかりの,ガチ言語学の話に対して「教育に応用するヒントください」という教師の常套手段とでもいいましょうか。
「自分で考えろ。お前の仕事だろ」と言われてもおかしくはないのですが,Jeannetteは優しい先生ですのでちゃんと答えてくれました。

Creative Metaphorをいきなり産出させようとするのは大変だからまずは理解・解釈してみるところからかしら。そこから産出に向けてステップが踏めるといいね。何かいい素材があるといいんだけど,詩とかかな。あとSNSで使われるメタファーも結構面白いのよ。

専門家には何でも聞いてみるもんです。詩というアイデアは自分にもありましたが,SNSは自分の発想にはありませんでした。いや,正確に言えば,海外の学校の生徒とのSNS上での交流に向けてSNSの英語という授業テーマも面白そうだというアイデアはあったものの,Creative Metaphorとそのアイデアを結びつけることはできていませんでした。

Jeannetteはメタファー研究をはじめとする認知言語学の知見の教育への応用について,ここ最近はやってないかもしれませんが,本も出しているので興味のある方は是非。
自分もこれを機に読み返したい気持ちが出てきてはいますが,順番がいつ回ってくることやら…。

文献紹介

Lakoff, G., and Johnson, M. (1980). Metaphors We Live By. University of Chicago Press. 

Littlemore, J. (2009). Applying Cognitive Linguistics to Second Language Learning and Teaching. Palgrave Macmillan

森雄一 (2012).『学びのエクササイズ レトリック』ひつじ書房

山梨正明 (1988).『比喩と理解』東京大学出版会.

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