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削ぎ落とすべきスライド

 とある物事が始まり動き出すプログラムにエントリーした御方のピッチを聞く機会に恵まれることに。どれどれ、と思って耳を傾けると、なんと「五分ピッチで『五十枚』のスライド」という驚愕のインパクト。

 人生で初めて目の当たりにした、五分間に対するスライド枚数の多さに圧倒されつつも、そもそもスライドが多くなり過ぎると逆効果ではないかと感じずにはいられなかった。そこで、今回はこれをテーマに書き進めていこう。

 何故、過剰なスライドは逆効果か。その一つ目の理由は、集中力が散漫になってしまうから。五分で五十枚ものスライドを用いると、一枚当たりの時間は平均六秒。聞き手は視覚的に理解する暇もなく、話のポイントを掴む余裕がなくなってしまう。

 例えば、ミカンジャムのピッチが五分で五十枚あったとしよう。冒頭に「ミカンの廃棄問題」というデータを示したと思いきや、その後も次々とスライドが切り替わり、栄養成分、製造工程、包装デザイン、販売チャネルと情報が詰め込まれすぎる。その結果、聞き手の思考が追いつかず、何の話を聞いているのか分からなくなってしまう。

 何故、過剰なスライドは逆効果か。その二つ目の理由は、重要なメッセージが埋もれてしまうから。五分で五十枚ものスライドを用いると、各スライドの意図やメッセージが薄まり、聞き手にとって何が重要なのか分からなくなる。

 例えば、ミカンジャムの魅力を伝えるべき場面で、デザイン案や細かい製造コスト、日本の農業の現状など、多岐にわたって説明してしまったとする。この場合、「このミカンジャムが如何に画期的なのか」「どうして顧客は喜んで手に取るのか」という最も重要な部分が曖昧になり、伝わらなくなってしまう。

 何故、過剰なスライドは逆効果か。その三つ目の理由は、話者の信頼性が損なわれるから。スライドの切り替えが頻繁すぎると、話者が焦っているように見え、全体が慌ただしい印象を与える。結果として「この人はアイデアを整理しきれておらず、ピッチを十分に準備していないのではないか」と思われてしまう。

 例えば、ミカンジャムのピッチで五十枚のスライドを次々に切り替えたとしよう。「聞かれたくない部分があるのではないか?」「全ての情報を盛り込んでおけば何とかなると思っているのではないか?」「本人自身が最も伝えるべき部分を理解できていないのではないか?」と、聞き手に疑念を抱かれる可能性が高い。

 五分のピッチであれば、スライドは十枚あれば十分。多くても十五枚が限度だろう。If you can't explain it simply, you don't understand it well enough.(あなたが物事をシンプルに説明できないということは、あなた自身がそれを理解できていないに等しい)とアインシュタインが語ったとされるが、まさにその通りだと思う。さぁ、スライドを削ぎ落として、伝えたいメッセージを研ぎ澄ませていこう。

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