Noteライター必見:誰かに届く文章は「じぶんから」始まる
共感は自分から始まる
あるとき、ふと気づいたことがあるんです。
文章を書くとき、つい「誰かのために」と思ってしまうことが多い。でも、実際に書いてみると、なんだかしっくりこないこともある。
読んでくれる人に向かって言葉を選ぶと、いつの間にか、文章が重たくなってしまう気がするんです。
そんなとき、
「あれ?これって本当に自分が書きたかったことだっけ?」
って、立ち止まってしまう。
どうも「相手にどう響くか」ばかり考えすぎて、いちばん大切なものが見えなくなっているのかもしれない、と。
じぶんという“客”
最近、私はある考えに行きつきました。じぶんという“客”を喜ばせること。
なんか照れくさいけど、自分が読んで「いいな」と思えるかどうかが、いちばんのポイントなんだと思うんです。
例えば、私は悩みや葛藤をそのまま残しています
誰かに見せたら、ちょっと恥ずかしいことでも。
でも、そういうのを後で見返したときに、すごく発見があるんです。
自分でも、「なんでこんなことで悩んでたんだろう」って笑っちゃうことがあります。
それでも、その瞬間には確かに真剣で、もがいていた自分がいたんです。
そんな自分を、そのまま文章にする。
それが結果として、誰かの心に届くことがあるのかも。
なんだか不思議な気がしますが、自分が一番納得していれば、少しずつでも、自然と共感は生まれるような気がするんです。
横に並ぶ感覚
それともうひとつ、「教えてやろう」っていうような文章が苦手なんです。
自分でもそういうのを書こうとすると、急に読んでくれる人の方を向いてしまう気がして。
自己啓発的な言葉は好きなんだけど、言葉が急に「私からあなたへ」って感じになると、途端にぎこちなくなってしまうんですよね。
だから、できるだけ隣に並ぶ感覚を意識しています。
隣で一緒に歩きながら話している、そんな距離感。
読んでくれる人が自分で答えを見つけることができるように、少しの余白を残しながら。
あまり多くを語らず、自然とメッセージが生まれるのを待つようにしているんです。
なんだ、そんなことかもしれない
そうやって書くことで、結局、自分のために書いていることが、誰かのためになるんじゃないかって思うんです。
自分って、案外特別な存在じゃないから。
悩むことや考え込むことも、みんなと同じなんですよね。
だから、心の中にしまっていた言葉が、ふと誰かの心にも届く瞬間がある。
「共感は自分から始まる」。
そう感じて書くと、自然と肩の力が抜ける気がします。
じぶんという“客”を喜ばせる文章を、これからも書き続けていこうと思います。