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見失いそうな学びの本質


あぁ教育ってくだらない。
と言えば楽になれるだろうか。

教育実習に行った。
教えるって、こんな感じなんだ…って、毎日新しい発見があった。

けれど、同時に自分の中に湧き上がる違和感もあった。
なんだろう、このモヤモヤした感じ。

毎日、教科書をめくりながら子どもたちの前に立ってみるものの、
どうしても自分が教える内容に「ワクワク」する感覚が見つからなかった。

知識を伝えることって、大事だ。
だけど、どうしてだろう。自分の中でその大事さがふっと薄れてしまう瞬間がある。

「これって、ただ知ってることを伝えてるだけじゃないか?」って。
なんだか、何かが足りない気がする。

学ぶ楽しさって、どこにいったんだろう?

自分のための学びが薄れていく


もともと、学びって自分のためのものだと思ってた。
新しいことを知って、それが自分の人生を豊かにする。

でも、「教える側」に立つと、
その軸がいつの間にかぼやけてくる。

「子どもたちのために」「わかりやすく伝えなきゃ」って考えながら進むうちに、
自分の中にあった「学ぶ楽しさ」や「知識の新鮮さ」が、少しずつ薄れていく気がした。

それでも、面白さを見つけたい


だけど、やっぱり「面白さ」を見つけたいと思う。

知っていることでも、違う角度から見られたらどうだろう?
自分だけでなく、子どもたちの反応を見て、
その中に新しい気づきがあるかもしれない。

そうやって、自分の中で小さな発見を積み重ねていけたら、
いつか「教える」ことがもっと自分にしっくりくるようになるかもしれない。

完璧な答えなんて、たぶん見つからない。
けれど、この模索自体が、
「学びの本質」を追いかけることになるんじゃないかって思う。

結論は急がず、
この先も自分なりに、ゆっくりやっていけばいい。

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たくと
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