私が自己啓発本が嫌いで無意味だと思う話とそれでも読んだらいいことあったっていう話
ノリハラです。高校生ぐらいまで、自己啓発本が嫌いでした。というか、本って基本的に小説とかあとは走り方とか、文章の書き方とか、将棋の指し方とかハウツー本みたいなものばかりだと思っていました(ああ、後、参考書がありますね)
「嫌いでした」と過去形である時点で「ああ、こいつは無理やり自己啓発本が如何に良いかを勧めてくるんだろうなあ」とお思いの方もいるかと思います。それは半分正しいのですが、半分間違っています。
なんだかんだ、この記事で言いたいことはタイトルのとおりです。「私が自己啓発本が嫌いで無意味だと思う話とそれでも読んだらいいことあったっていう話」おすすめするわけでもなく、しないわけでもありません。ただ、こういう考えもあるよね、ぐらいの記事です。
自己啓発本:嫌い
ライフハック本:好き
ところで、私は自分を「啓発する」ものは無意味だと思います。ですが、ライフハックのような便利な知識は好きです。そして記事の後半でも繰り返しますが、そもそも「自己啓発本」という呼び名自体が、それらの本を示すときにすでに間違っているのではないか、と思います。
自己啓発本が嫌いな理由
さて、序文で若干横道にそれましたが、自己啓発本が嫌いな私の考えについて、共有します。
・書いてあることが一緒
いわゆる自己啓発本を読んで得られることって大抵こんなことだと思います。
・行動しよう。
・ポジティブ思考になろう。
まあ、自分を「啓発」する本と書いて自己啓発本ですからね。啓発って「やる気を出せ」「行動しろ」という意味な気がしています。実際に書かれている内容は確かに上記二つのような内容が多かったりします。
学生時代の立ち読みですらこんなふうに思っていました。そこで得られた結論は、以下のようなものでした。
「大人はこんな単純な真理を理解するために何千円ものお金を払って、数時間という時間を使っているのか……やばいな」
・冗長
それから自己啓発本が冗長である、ということももう一つの理由です。自己啓発本って一つのことを説明するために、同じことを延々と繰り返したり、具体例をエピソードで紹介したりして、無駄に冗長だったりします。
特に名著と呼ばれる海外の本なんて最悪ですよね。具体例に次ぐ具体例で、読みながら頭がしびれてくるような感覚に襲われます。頭に入ってくるようで、全く頭に入ってきていないような感じなんですよね。
しかも具体例がほとんどすべてわざとらしい。小中高生や大学生だった私は、
「いやいや、こんな失敗するやついないだろ。それに、改善例としても、こんな簡単にころっと変わるやつがいるか?」
と疑問でした。
そして、長すぎて、頭に入ってきていない文章を読み終えても結局自分の中には何も残っていない。そこにあるのはただ過ぎ去った時間だけ……
こういう失敗体験から、自己啓発本がますます嫌いになりました。
・自分で王道的に考えなくちゃ意味がないだろ、という考え
小中高・大学生は勉強をします。どこかで見ましたが、社会人の平均勉強時間6分とか言うので、それに比べて、小中高・大学生の勉強する量はかなりのものです。
それだけ勉強すればなんとなく「勉強のコツ、というか黄金法則」みたいなものが見えてきます。
一つの王道は「洗練された教科書・問題集の問題を徹底的にやり抜く」というものです。
横道にそれるのも良いのですが、例えば「5分で世界史を振り返る」みたいな大人向けの参考書を読んでも得られるものって非常に薄っぺらいです。確かに5分で振り返ることはできるかもしれませんが、そんなことが分かってもテストでは点数が取れません。
しかも、自己啓発本は大抵つらつらと自分の考えが書かれてあるだけで何も練習問題のようなものが用意されていません。
自己啓発本「読むなら勝手に読めば? アフターサービスはゼロだけど」
ただでさえ薄っぺらい内容なのにそういう姿勢でこられては身につくものも身につきません。
対して例えば高校の教科書は1ページ1ページの情報量が半端ではなく、それらを身に着けさせるための練習問題も豊富です。確実に多くの知識が身についているという実感がありました。
「こんな適当なものにどうして大人はお金を払うんだろう。もしかして『私はこの本を読んだ』ということによっているんじゃないかな」
さらに言えば、例えば「小説の書き方」のような本が売っていました。売れている小説家の小説の書き方をまとめていましたが、そこに書かれているのは、企画書の書き方であったり、てにおはに気をつけろ、ということであったり、なんとも些末なことであるようにも見えました。
そういう本を読むと、
「ああ、本当に重要な手法というのは自分で学ばなくてはいけないんだ。こういう本は『小説が売れなくて困っている人』からお金を吸い取ろうとする詐欺みたいな本なんだ。本当に重要なことがあるにしても、それを書籍化するより自分で稼いだほうが早いだろうし…」
というのが私の心境でした。一部は今でも正しいと思っていることではありますが……
・だけど、実践できないし役に立たない
仮に学生に「自分の人生の目標をもて」と言われても、
「勉強と部活という目標がすでにあるんですが……」
と言いたくなります。
それに学生時代に「リーダーとしての振る舞い方」について学んでも、クラス内のカーストはすでに決まっていますし、仮に何かの班長になったとしてもそこに明確な上下関係なんてありません。
「資料作成の方法」についての本を読んでも「資料を作成する機会」がありません。
確かに「リーダーとしての振る舞い方」「資料作成の方法」を時間がある今のうちに知っておけば、将来的に役に立つのかもしれないなあ、という予感は学生ながらに感じるところではありますが、遠い未来のように見えてあまり現実感がありません。
受験勉強ということを考えると、結局「参考書」が最も手近で、役に立つものだと思えてくるんですよね。もちろん漫画や小説も娯楽としてみることはありますが、それよりテレビやネットで動画を見たほうが楽しい。
「結局実践する機会がないものをみてもなあ」
と、自己啓発本を見るのってなんだか虚しくなってきます。
学生だけではなく、社会人になったときも例えば「アイデアの出し方」について書かれている本の作者が「職業=作家」だったりもしました。
「ということはこの人は『アイデアの出し方』についての本のアイデアを出していたのか? ループしてね?」
となったり、小売店の人の話を営業の人が見たりなどミスマッチが非常に多いです。
学生はどんな本を読むべきなんだろう
さて、学生の頃を振り返り、また、自己啓発本が嫌いだった頃を振り返ってみて見ましたが、今、ある程度自己啓発本が好きになれたのは、「学んだ内容を活かす場所」があるからというのが大きいように思いました。
ただ、学生でも読んでいてある程度面白いだろうな、と思う本は以下のような本、あるいはほんの読み方です。
本:新しい視点を取り入れるような本
本の読み方:新しい視点を探しながら読む
偏った考えを取り除くために本を読む。
以前、どこかで読んだ内容ですが、「幸福度を上げるためには読書をすると良い」というのを聞いたことがあります。それ自体よりも、その考え方が重要で、「本を読むことで考えの偏りを防ぐために本を読む」のだそうです。
確かにこれは納得できる考え方です。私だけかもしれませんが、漫画の中で「賢いな」と思うキャラクターは常に一歩下がっていろいろな可能性を考えられるキャラクターですし、逆に、漫画でも現実でも「賢くないな」と思うキャラクターは常識に縛られていたりします。
頭がいい人:いろいろな可能性を考える
頭が良くないキャラ:慣習や常識に縛られる。
もちろん、一つのことを極めるという方向性での「凄さ」もあると思います。でもそれは考え方がすごいのではなくて、どちらかというと一つのことを極める執念だったり、計画性の凄さだったりします。
偏った考えを取り除くために、本を読んでいろいろな考えを取り入れるというのは有効だと思いますし、それが結局幸福度に関与しているというのは納得が行きます。
ただしこれに対しては、
「でも、結局本を読んだら、その人の意見に左右されるわけでしょ? それって考えが偏った状態なんじゃない?」
上記のような反論も当然あると思います。実際、若者の斬新な発想によってイノベーションが起こった、という記事、文章、報道を見たことがあるかと思います。若者はフラットな状態だからこそ、今までにない視点で成功を収めることができた、というサクセスストーリーです。
この考え方は「勉強しないほうがもしかして良いんじゃないか?」とも思えてしまいます。しかし、実際、この方法は2つの理由で効率が悪いです。
1. 思いつきが世間の欲求と一致するという偶然に頼りすぎている
2. 自分で思いつかなければならない
結局、上記の欠点を潰すために、読書をするべきだという結論になります。読書をすることで、先程の欠点は、
1. 偶然に頼りすぎている→読書によって幅広い知識を得ることができる→自分のアイデアが優れているか否かが判定できる→行動の前に失敗を予防できる。
2. 自分で思いつかなければならない→他の人の考えを知ることができ、自分で思いつくよりも手っ取り早く「賢い人」の考え方に到達することができる。
上記のように改善されます。
端的に言うと、何も知らないのではなくて、様々な考え方を知る状態でのフラットな状態をめざす、ということですね。
人生に新しい視点をもたらしてくれる本を読む
しかし、学生の頃はお金もないし、仕事も与えられていません。行動しろ、と言われても仮にプログラミングを勉強をするとしても家に自由に使えるパソコンがなければ効率がわるいですね。
学生ではないにしても、自己啓発本に興味がない人は、もうすでに生活の中でやるべきことは満たされていて、本なんて読む必要がない、という状態だと思います。
ただ、それでも「なんとなく自己啓発本が良いらしいから読んでみたい」という人におすすめなのは「人生・考え方」に関する本を読むことだと思います(結局、おすすめしてしまいましたね)。
それは必ずしも、成功体験に関する本である必要はないと思います。失敗体験から得られるものもあるでしょう。
よくおすすめされているのは「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」ですし、個人的に読んでいて面白いなあと思うのは「臨機応答・返問自在」あるいは「やりがいのある仕事という幻想」のようにまさに「考え方・ものの見方」に新しい価値を与えてくれる森博嗣さんのエッセイです。
こういう本を読んでいると、テレビや世間の常識とはちょっと違うものの見方ができて、いかに自分が「世間の常識」に縛らていたかを知ることができます。そしてそういった「世間の常識」という鎖を、自分の頭で考えたり、本を読んだりして取っ払っていくことで、最終的にはそういった「常識に縛られない自分の価値観」を得ることが得ることができる、という予感があります。
自己啓発本を読む意味、というより本を読む理由はこの辺りにあるような気がしています。
長くなりましたが、今回は以上となります。