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Photo story No.036 春を告げる海の恵みと誇り。
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今年もホタテ漁が始まった。まだまだ寒くはあるが春を感じる風物詩。ホタテ漁は猿払を支える屋台骨。獲って稼ぎ、加工して稼ぎ、販売して稼ぐ。多くの村民が恩恵に預かっている。
村も同じだ。村の貴重な財源確保策のひとつにふるさと納税がある。お礼の品としてもホタテの加工品が占める割合は大きく、全国の皆様のもとへ。
ホタテは猿払村を語る上で欠かすことができない資源。ただ、過去には獲り尽くしてしまいホタテが姿を消してしまうという苦い経験も。
育てて獲る漁業への転換までには、筆舌に尽くし難い苦労と苦難の道のりだったと語り継がれているが、そこまで古い話ではないのだ。
それこそSDGsが叫ばれる前から、猿払の産業の基礎を築いた先人たちは、過去の教訓を胸に連綿と持続可能な漁業を営んできた。
これは、猿払に生まれ育った私にとって誇り。この想いを、いつも思い起こさせてくれる一節がさるふつ公園にある。
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昭和56年、さるふつ公園の敷地内に帆立貝漁場造成事業10周年を記念して建立されたいさりの碑に刻まれている碑文の内容の一部をご紹介。
帆立貝漁場造成事業10周年に当り猿払の漁業のうつりかわりを振返って見る。
我々の先人がオホーツクの海の魚貝類に生活の糧を求めたのは明治の始め頃のことだ。
それから一世紀になんなんとしている。
春、4月5月、鰊の群来で海は乳白色になり獲っても獲ってもなくならないものと思われた。
鮭鱒は海の荒くれ男と力比べをするように網もさけよとばかり来網した。
海扇と呼ばれた帆立貝は海の底に幾層にも重なり合っているのではないかと錯覚を起こさせる位生棲していた。
しかし之等の生物の運命も貪欲な人間の前には所詮は滅亡の運命が待ち受けていた。
今日ではあらゆる資源は有限であることが認識されている。
しかし生物資源は自然と人間の適正な育成管理によって永続させることが出来る筈だ。
私達も自然の摂理にかなった生物資源の育成管理を科学的調査と人智をあつめてやってみた。
春夏秋冬、自然の摂理は一世紀の昔も今と変わりなく繰返され生物の生命力は見事に部族と子族の繁栄に其の力強さを見せてくれた。
今、オホーツクの海は先人の開拓した時のように帆立貝が美事に結実してたわわな実を見せている。
鮭鱒もまた間もなくふ化事業の結実を見せようとしている。
猿払の海を拓いた多くの先人の苦労と偉業を偲び其の意志を我々も子孫もうけつぎそして実践することを肝に銘じ、今此の碑を建てる。
人間は神々と力を競うべきでない。
人間は自然の摂理に従うべきだ。
猿払村を訪れた方に、村の歴史を説明する度に訪れるいさりの碑。碑文に込められた想いをご説明することで、自分も初心に帰れるのだ。
特に最後の二行が自分にとっては強烈に印象を残す。自然と人間はそれぞれの強さや叡智によって共存すべきだし、できるはず。その固い意志をいつも強く感じるのだ。
社会や物事の断片が良ければ良いという発想ではなく、もっと大きな視野で全体を俯瞰して創造すること大切。
地方公共団体で働く立場の自分だからこそできることがあるはず。この想いは今までも意識してきたが、これからも大事にしていきたい。
そして、幾多の人々の熱き想いが乗せられた海の恵み。この恵みを一人でも多くの方に知ってもらうために私は動き続ける。
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