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31歳のLOVE理論

このnoteの読者さんならもうお気づきだと思うが、僕はモテる方ではない。小学校のときはどうやらモテていたらしい。背が高くて足が速かった(小6の時点で160センチあった。今は164)。いくら女の子に興味のない時期であっても、さすがに勘違いしてしまう。ああ、俺は女の子には困らない人生なのだろうと。

中学生以降の僕の下落っぷりときたらそれはもう、リーマンショック級である。皆さんは背の順でどんどん追い抜かれていく屈辱を味わったことがあるだろうか。中学で入学した頃は一番後ろだったのに、卒業する頃には一番前になっていた。自尊心を最も大切にしないといけない時期なのに、すっかり打ちのめされてしまった僕は自信をなくした。思えば野球の技術も小学校6年生の頃がピークだった気がする。

まともに女の子と話せるようになったのは大学に入ってからのことである。それまでは女子というのは生き物として何か別の種族だと捉えていた。何を話せば喜んでくれるのか、皆目検討もつかない。直前に「話せるようになった」と書いてしまったが、それはあくまで機会の話であって、男女としてのコミュニケーションとしては最初は完全に不成立であった。言ってはいけないことばかりを言った。3つ上の野球部の先輩を見習い、初対面の子に「パンツ何色?」と聞いてドン引きされた。会話って、何を言うかではなく、どんなキャラの誰が言うか、文脈、背景など、複雑性の結晶なのだということをその時に知った。

こうなったら理論で攻めるしかない。本当に恥ずかしい話なのだが、いわゆるモテ本は結構読んだ。どれも結構勉強になったけど、一番自信が出たのは、水野敬也氏の「LOVE理論」だ。全国の童貞にこれを配れば、性犯罪は減少し、少子化も少しは改善すると思う。僕は根っこから、というか前世は絵踏みをせずに処刑された人なんじゃないかってくらいにひねくれているので、「〇〇で人生変わった」系は基本的に信じないし言わない。でも「LOVE理論」は誰かの人生を変えるだけの内容を含んでいると思う。大学3年の時にこれを読んで、そこからは「人並みに」彼女ができ始めた僕が言うのだから、間違いあるまい。

31年も生きていると、自分なりのLOVE理論が一つや二つ出てくる。まず、絶対に言えるのは、もうとにかく
①「話を聞く」→②「聞くだけでいい、アドバイスはいらない」→③「適当に自分の話もして、すぐにバトンを返せ」。これだけ。マジでこれだけですぐに仲良くなれる。一時期、男性器の見た目をした「話聞こかおじさん」がネットで流行ったが、導入として「話聞こか」はアリだと思う。そこからはいかに男性器をチラつかせず聞き役に徹することができるかが勝負である。

最後にもう一つ。デートプランは緩めで。何も決めずに集合場所に行くのはあまりに頼りないし、きっちり詰めてさあ急いで行こうでは余裕がなさすぎる。ゆるーいロープをなんとなくつたっていく感じで進もう。「この場所でこの時間に告白!」なんかは最悪だ。絶対やめた方がいい。胸に残る言葉というのは、何気ない時、例えば電車を降りて改札への階段を降りる時とかに刺さるものだ。長く付き合いたいのならば、日常に小さいケーキを忍ばせる。その日限りでいいのなら、集合場所で大きな花束を。あ、後者は全然分からんわ!

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松本拓郎
サポートしていただいたお金を使って何かしら体験し、ここに書きたいと思います。

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