夢が叶う人間関係整頓の法則
何度か夢を叶えたことがある。その叶え方のコツの話だ。
「夢に関係あるひととだけつるむ」ということにすぎないのだが内容を書いておく。
・ゴーイングコーベ
・機材車購入
・メジャデビュー
・全国ツアー
・ロッキンジャパン
・カウントダウンジャパン
・35歳以上になってもバンドマン
・ワールド記念ホール
・テレビ、ラジオ
・家賃三倍額
・出版
・従業員100名
・年商億
・月商億
他にもいろいろ俗っぽいもの、小ちゃいもの、大きいものがあったような気がする。もちろん叶わなかったもの、まだ叶うか分からないものもたくさんある。だけど箇条書きした案件はすべて達成した。よくやったよ俺、とも思う。
夢破れたこともあるけれど、どちらかと言えば「叶わなかったこと」のほうが少なかったと記憶している。これは「世界征服したい!」などのピラフ大王的ドリームがない人生だったからかもしれないが、「願望の実現」という一点においては自分のロードマップにそれなりに満足している。
じゃあ何で夢が叶ってきたのかと振り返ってみたのだが、別に僕は天才的な能力があったわけではない。むしろ音楽的なアビリティで言えばもっと高い友だちがたくさんいた。その彼らからすると「なんであいつがアレを叶えて俺は叶わんねん!」と思っただろうし、自分としてもそう思う。
だけど能力というのは意外と誤差であって、僕が考える夢を叶える一番大きな要因は「周囲の人々の断捨離」だ。すごく冷酷な言い方をあえてするなら自分の叶えたいことの邪魔になるひととは縁を切るのだ。
別に「二度と俺の前に姿現すなよ!」と宣言する必要などないのだけれど、一緒に過ごさないようにはする。誘われても乗らない。こちらからも誘わない。共に飲まない。ただそれだけだ。
印象的な話があるので書いておく。
そもそも僕は23歳で上京した。当時のバンド名はThe DARARSという名だった。メンバーは高校の頃から付き合いのある友人。エレキギターのあれこれを教えてくれた親友とも呼べる人物だ。
The DARARSは上京後、一年ほどで解散することになる。
僕は「ロッキンに出るぐらい商業的に成立したバンドをやりたい」と主張し、彼は「音楽は趣味でいい」という主張だったからだ。
まだ改修される前の下北沢駅の北口の階段で袂を分かつ話をした。2010年だった。
それからなんと一度たりともマトモに口を聞いていない。
16歳からずっと付き合い、ほぼ毎日のように過ごしていた人間とぱたりと付き合いがとまった。主張が違っただけで喧嘩したわけではない。かといってお互いがお互いの人生にとってもはや何の意味もなくなったのも事実なのだろう。完全なる絶交である。
僕の人生はこういうことがわりとたくさん起きている。
人間関係が積み重なっていない貧しさに悩んだこともあるのだが、「夢を叶える」という一点においてはストロングポイントだったのかもしれない。
夢を叶える上では「関係ないひと」に時間を使わないほうがいい。
寂しいけれど、そのひとと別れたら不思議と新たな出会いがある。法則的にいつも別れの後には出会いがあった。しかもその新たなひとは夢に関係がありまくりなのだ。
自らの夢に関係あるひとだけが身の回りにあふれていれば進捗率は劇的にアップする。
こうすると日常に「夢を笑わないひと」しか存在しなくなるのもデカイ。
というのも夢というやつはけっこう笑われてしまう。他人からしたら無価値に見えたり不可能に見えたりするのでこれは仕方ない。諦めるしかない。
だけど笑うひとが近くにいるだけで一気に熱を冷まされてしまうこともある。スタートアップのタイミングほど熱が冷めないよう、小さな火が消えないように注意しないといけない。
反対に熱く語り合える仲間がいるだけでも耐久力が上がるし、本当に達成可能な気がしてくる。それだけで試行回数も稼げてくる。
・夢へのテンションを上げてくれる仲間だけ揃える
・寂しいけど夢と関係なくなったら縁を切る
この二つの徹底でぐいぐい進んでいくことばかりだった。
寂しいタイミングもつきまとうけれど、何かを叶えていくことは魂をずいぶんと豊かにしてくれる。自分のまわりにいるひとが叶えた自分のことを喜んでもくれる。こんぐらいがあれば寂しがらなくてもいいんじゃないかとも思うのだ。