バトルえんぴつを巡る戦い

バトルえんぴつって今どうなってるんだろうか。

僕が小学生の時に爆発的ブームとなったアイテムだ。

文房具という勉強に使うアイテムと、おもちゃというアイテムを掛け合わせた神のアイディアだった。

「文房具です」 という免罪符が使えるので、学校に持っていくことができるのが決定的によかった。

ホント、考えた人を表彰したいぐらい天才的、圧倒的閃きを宿したアイテムだった。

基本的には鉛筆を転がして、上を向いた面を乱数として使用するゲームだ。

その面に書かれている文章を使って攻撃したりして遊ぶ。

凄いのが複数人でもできるということだ。

「●に30のダメージ」「★に60のダメージ」などの文章が書かれていて、
鉛筆のお尻の場所に●や★などの属性が書かれている。 キャップを付けて、装備としても使えた。

その面白さに僕たちは完全に発狂寸前になった。 
来る日も来る日も、休み時間にバトルえんぴつを転がした。

それまで大人気であったドッジボールや、鬼ごっこは瞬く間にユーザーを失った。

そしてグラウンドの人口密度は一気に寒々しいものとなった。

かわりに教室に人が溢れ返った。
教室中、人人人だ。

休み時間になると色んなクラスをみんなが行き来した。
違うクラスのやつと対戦するためだ。
日によっては教室内に50人以上いることもあった。
みんなが鉛筆を転がした。

あまりに人がいるので、グラウンドで転がす者もいた。完全に病気だ。

2016年の小学生が見たら「むかしのひとはえんぴつをころがす。これがごらくだったのだなぁ」と
感想を述べるだろう。

僕は市販の製品では飽き足らず、オリジナルのバトルえんぴつを作ったりしていた。

彫刻刀で六面を薄く削り、そこにボールペンで文章を書いた。

「全員に5000のダメージ。全員もれなく死ぬ」などと書いて無双しようとしていた。

しかし世の中のパワーバランスを脅かす存在として排除された。

それも含めて、すべてが楽しかった。
鉛筆を中心にみんなが笑っていた。
幸せだった。 

しかし世の中の平和、安息はいつまでも続かない。

職員室協議会による魔女狩りならぬ、「バトエン狩り」が行われたのだ。

「学校中を包む異様なカルト性をはらむバトエンを根こそぎ断絶する」

正義の条例が職員会議のもとに決まった(のだと思う)。

「学業に関係のないものを学校に持ってこないこと」 というプリントが学校中に配られた。

次の週には「バトルえんぴつを学校に持ってこないこと」 と書き換えられたものになり再度配られた。

締めつけはどんどん苛烈した。

風紀委員が作った「バトエン禁止!」ポスターが廊下中に貼られるようになった。

右手で0点の答案を握りしめた男の子が、左手でバトエンを振っている醜悪な絵だった。

「バトルえんぴつで遊ぶ子はバカになる」とでも言いたげな、 見た人の気分を底まで沈める、嫌な表現だった。

それでも持ってくるやつは容赦なく殴られ、取り上げられ、即保護者呼び出しという極刑措置がとられることになった。

ダイブができなくなったダイバーのように、僕らはバトルえんぴつを振れなくなった。

振りたい。バトエンが振りたい。 
 
あの『かいしんのいちげき』を出したときのドーパミンがドバドバ出て、 目の前が光でまっしろになる、あの感覚を味わいたい。

ウシジマくんに出てくるパチンコ依存症の人みたいになっていた。

もうバトエンのことしか考えられなくなった。

僕らは耐えられなかった。 
 
バトエンが振りたくて振りたくて、吐きそうだった。

あの鉛筆がコロコロ転がる軽快なサウンドを聴かないと、どうにかなってしまいそうだった。

振るしかない。このままではおかしくなる。
そう思った。

しかしそのまま振れば、それは死を意味した。
先生たちや風紀委員たちが常に目を光らせていたからだ。

「何か良い手はないか」毎日考えていた。 
 
もともとついていけていない授業に、さらについていけなくなるほど考えた。

僕は監視をすり抜けることを諦めて、別の道を行くことにした。

先生の目の前でバトルえんぴつを振っても、裁かれない方法だ。

コソコソ振りたくなかったし、監視の目をすり抜けるのは不可能とも思えたからだ。

もっと言えば「バトエン」という手段は問わなかった。
結局、目的はドーパミンをドバドバ出して、目の前を光でまっしろにすることだ。

あの感覚が欲しかったのだ。
もう、まっしろにさえなれれば良かったのだ。

ヒントになったのは僕の作ったチートバトエンだった。
僕らは市販のバトエンと同じ文章と絵を、ただの鉛筆に書き込むことにした。

カラフルさは無いが、絵のうまいメンバーが書いたスライムの絵は上出来だった。

文章はまったく一緒、イラストは模写の、DIYバトルえんぴつが誕生した。
わりと良い出来だったと思う。

「スライム一号」と名付けられたそれは、迷える子羊たちの希望の光となった。

手分けをして、あらゆるバトエンを作った。
絵のうまい女子にも手伝ってもらって、クラスは一丸となった。

そしてその本数が5本ほどになった時、僕らは戦いを仕掛けた。

決行は二時間目の授業の終わり、チャイムと同時だった。

授業の終わりを告げる鐘でもあり、10分の休み時間の始まりを告げる鐘が鳴った。

チャイムは、その日まったく別の意味を持っていた。聖戦ののろしだ。

僕が口火を切った。
僕はチートバトエンの開発者でもあり、このタクティクスの立案者だった。
そして、バトエンに対する愛は誰にも負けなかったため、このプロジェクトではチーフを任されていた。

「さージブエンやろうぜ!」

先生にも聞こえるように大きな声で言った。

自分たちで作ったバトルえんぴつ。略してジブエン。
僕たちチームはこのジブエンという名称に自己を投影し、誇らしく思っていた。

世の中のルールは苦しくて、厳しい。
不条理なこともある。
だけど、自分たちの情熱と創造性があれば不可能なことなんて、無い。

ライト兄弟は空を飛んだし、キング牧師は差別と偏見の目を開かせた。

エジソンは人々に光をもたらし、スティーブ・ジョブズは世界を変えた。

そして僕たちは教室でバトルえんぴつを転がす。

そう信じていた。

だが世の中は厳しかった。

「なんや、ジブエンって?」先生が、少し不愉快そうに聞いた。

「バトエンじゃないっすよ。ジブエンっす」

作った、ジブエン5本を先生に見せた。

「ふざけるのも大概にせえ!勉強に関係ないもん持ってくんな!」

「勉強に関係あるものを、持ってきて、関係なくしただけです! 持ってくるという段階では勉強に関係ありました!」

その言葉に先生は激怒した。
僕らの魂である5本はすべてへし折られて、殴られた。

殴られながらも「先生のっ…!タバコはっ…!仕事に関係あるんですか!?」とへらず口を叩いていた。 
 
また拳が飛んできた。
一応、目の前はまっしろになった。

そして保護者呼び出しの刑に加え、非常に悪質であるということで、 一番怖い先生との面談までついてきた。
国家反逆罪のような扱いになってしまった。

「勝てば官軍」という言葉をそのときに調べた。

僕らはあのとき負けた。でもたしかに戦っていた。
あれからも勝ったり負けたりを繰り返してきた。 
 
自分のやり方で。

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takuro(juJoe)
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