「わざわざ売ろうとしなくていい」ベストセラー編集者・多根由希絵さんが見つけたヒットの公式【ビジネス書のTAKURAMI】
時代を先ゆく“ビジネスの手練れ”たちの仕事術や思考法を手に入れられる書籍は、日々課題と向き合うビジネスパーソンの処方箋だと言えます。
事実、ひとりでは越えられない高い壁を越えていく手段として、ビジネス書を手に取った経験を持つ人は少なくないでしょう。
書籍編集者の多根由希絵さんは、これまで私たちの悩みを吹き飛ばす書籍を数多く手がけてきたひとりです。
2018年年間ベストセラー「単行本ビジネス部門」で1位に輝いた、『大人の語彙力ノート』(明治大学 齋藤孝)。同ランキングで2位を記録した『10年後の仕事図鑑』(堀江貴文・落合陽一)、累計発行部数61万を超えるベストセラー『1分で話せ』(Zホールディングス 伊藤羊一)など、多根さんが手がけてきたヒット作は枚挙にいとまがありません。
本が売れないと言われる時代に、大ヒットを連発する多根さんは、いかにして優れた企画を生み出しているのでしょうか?
「弱みこそが編集者としての強み」と教えてくれた敏腕編集者の頭の中をのぞき、世界を前進させる企画のつくり方を探っていこう。
ヒット企画のその先に、顔の知らない誰かがいる
—— 大ヒット書籍を数多く手がけてきた多根さんにとって、企画とはどのようなものでしょうか?
企画を一言で表現するなら「誰かに喜びを届けるもの」です。
書籍の企画であれば、読むことで人生が変わったり、その変化が積み重なって世界が少しでもよくなったり。そうした喜びがあふれていくことに、企画の価値が存在するのではないかと思っています。
——「喜びを届ける企画」を追求していくようになったきっかけはなんでしょうか?
自分の企画がきっかけで生まれた「読者の明日を変える瞬間」を間近で見たことです。
編集者のキャリアをスタートさせた日本実業出版社では、かなりニッチなテーマのムックや雑誌を担当していました。総務・経理・労務の現場で使える情報を掲載した月刊誌などを編集していたのですが、これが楽しくて。
私は実務の専門家ではないものの、企画を通して困っている人と専門家をつなげることで、困りごとを解決することができると思いました。
私が担当した企画が存在することで、誰かの悩みが解決されていく様子を見ていると、「ああ、企画って楽しいな」と感じるわけです。
以来、企画を立てるときは、「誰のどんな気持ちに寄り添いたいか」を強く意識するようになりました。テーマを変えてビジネス書を編集している今も、その気持ちは変わりません。
“みんなの無意識”を拾い集める
—— 多くの人の手に届く企画を手がけるには、どのような工夫が求められるのでしょうか。
優れた企画は、天から降ってくるものではありません。人々の無意識を拾い集めた集合体こそが、優れた企画だと思っています。極端な話をすれば、「無意識のニーズ」さえしっかり捉えられていれば、わざわざ売ろうとしなくても、書籍は勝手に売れていきます。
ただ、「無意識のニーズ」に気づくのは、簡単なことではありません。今でも、編集を担当した本が重版せず初版で終わってしまうことはあります。
そんなときに自分を振り返ってみると、いつの間にか本を「売ろう」という欲が出てしまっていたことに気がつくのです。ヒットさせたくて目立つ企画やタイトルを捻り出しても、「無意識のニーズ」を捉えていないのなら、どれだけ頑張っても売れません。
ヒットする書籍を生み出すには、捻り出す必要もないくらい、自然とそこに渦巻く感情を捉える必要があるのだと、いつも自戒しています。
——「無意識のニーズを捉えること」をどのようなステップで考えていけばいいのか、多根さんが世に送り出した書籍を例に教えてください。
例えば、落合陽一先生と堀江貴文さんの共著『10年後の仕事図鑑』は、うまく無意識のニーズを捉えられた書籍だと思っています。
当時はAIについての話題が増えてきた頃で、多くの人が深層心理で「自分の仕事が奪われてしまうのではないか」という不安を抱えていました。
そうした無意識を汲み取り、AIが今後どのように普及していくのかを著者のおふたりに語っていただき、未来ではどのような仕事が生き残るのかをご提示した結果、たくさんの方の手に届く書籍になったのです。
—— 多根さんは「人々の無意識」をどのようにしてキャッチしているのでしょうか。
例えばカフェやファストフード店で休憩しているときに、お客さんが話していることを聞いています。
堀江さんの書籍『本音で生きる』を担当したときは、「言いたいこと言いてー」と言いながらお店に入ってきた若い男性の声を聞き、「本音で話したいのに話せない人がこれほど身近にいるのだから、日本にはもっとたくさん同じような悩みを持った人がいるだろう」と、無意識をキャッチしました。
また、書店に足を運び、売れ筋の書籍が並ぶ棚をチェックすることもあります。ここでやっているのは、「どんな本が売れているか」よりも「なぜその本を買ったのか」を想像すること。
要するに、欲求の根源に思いを巡らせているんです。
ヒットした書籍をふり返ってみると、自分を含む世の中の人が心のうちに抱えている違和感や不安に、誰よりも敏感になれていた気がします。その感情に寄り添い、明るい未来を提示できたとき、優れた企画が生まれていました。
—— 世の中の人だけでなく、自分自身の感情にも、敏感でいることが大切なのですね。
自分の中にある「もやもやした気持ち」をそのままにしておくと、誰かの違和感まで見過ごしてしまうかもしれません。
ただ、自分の感情を普段から整理していれば、次にそれと似た誰かの感情に出会ったときに、「あのときの気持ちだ!」とピンときます。すると、そのニーズを抱える人が、自分ひとりではないことに気づける。
身近にふたりも同じ気持ちの人がいるならば、きっともっと多くの共感者がいるはずです。
—— 自分の感情を整理することで、世界を見る目の解像度を上げるのですね。
私が編集を担当した成田悠輔先生の著書『22世紀の民主主義 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる』も、企画の原点は自分の些細な違和感でした。
この書籍を企画したのは、新型コロナウイルスが流行しはじめた頃です。緊急事態宣言や飲食店の時短営業など、当たり前の日常を奪われる日々が続いていました。当たり前が失われていくことに、少なからず戸惑いを感じていたのです。
また、書店のランキングを見れば、『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(岩波書店)が売れている。ここで、みんなが世の中への不安や不満を心の中に持っているのだと確信しました。
そんなとき、成田先生の「民主主義の呪い」という文章を見つけ、そこに私たちが不満に思っている現象がなぜ起こっているのかの根本があるように思い、企画をご相談させていただきました。
また、当時の成田先生のメディアでの発言を拝見しながら、先生が多くの人の思いを代弁してくれているようにも考えていました。そこで、企画書を送ったのです。
ありがたいことに、書籍は現在も売れ続けています。これも、私を含む世の中の人が感じていた「無意識のニーズ」をうまく捉えられた事例です。
書籍の売り上げは、著者さんが持っている数字(知名度)と、テーマが持っている数字(母集団)のかけ算が、ひとつの目安にはなると思います。
ただ、それだけではヒットする書籍にはなりづらく、無意識のニーズとうまく合わさったときに、誰の目にも届く書籍になる可能性があると思っています。
無意識のニーズを見つけるとき、編集担当者としては、「この著者にこのテーマで話をしてもらうと面白い」という気づきや、「世間が熱狂を求めている」といった空気感のようなものを見ています。そんな曖昧なものに力を持たせるためにデータも見て、自分の感覚と数字を行ったりきたりさせているのです。
生み出したら、膨らませる
—— 企画を書籍という形にしていく過程で、気をつけていることはありますか?
「膨らませる」ことを意識しています。
ほとんどの場合、企画の発端は自分の動機です。でも、最初から最後まで自分の意見と著者の意見だけを信じてしまうと、独りよがりならぬ“ふたりよがり”の企画になりかねない。
届ける相手を見失ってしまったならば、その書籍はきっと世界を少しも変えられません。
思考のタコツボ化を避けるために、出版可否を決める上司の声、書籍を書店に売り込む営業の方、書籍を手に取る読者の声……それらを拾い集めるんです。
そうやって企画を膨らませていくと、多くの人に届く可能性が増えます。
だからこそ、企画会議で「こんな本売れないよ」と厳しく指摘されても、取材時の質問を著者からダメ出しされても、「より多くの人に喜びを届けるチャンスが来た」と捉えるようにしています。
彼らがなぜそのような感情になるのか、どうにか前向きに変化させられないかを、一つひとつ丁寧に考えていく。その地道な積み重ねが、「企画を膨らませる=多くの人に喜びを届ける」ことにつながるからです。
—— 企画を膨らませるために、具体的に実践している習慣はありますか?
書店やAmazonの売れ筋ランキングは、これまでずっとチェックしてきました。売れている本のタイトルやテーマを毎日インプットすることで、世の中の総意と自分の価値観がズレることを防いでいるんです。
新人編集者の頃から続けている習慣ですが、わけあって少しの間ランキングから目を離していた時期がありました。すると、やはり自分と世間の感覚にズレが出て、売れない本をつくってしまって。
やっぱり、多くの人の声を聞く時間がないと、いい企画はつくれません。カフェやレストランで、聞こえてくる会話の中にヒントを探してみるのも、ヒットを生むためのいいトレーニングになるはずです。
克服したい弱みが、唯一無二の武器になる
—— 身近な人たちの声に耳を傾け続ける多根さんのお話を聞いていると、いわゆる「アイデアマン」ではなくとも、ヒットする企画を生み出せる可能性があるのだと感じました。
私自身に強みがあるとすれば、弱みが多いことだと思っています。
—— 弱みが強みになる……?
私は話すことが苦手で、うまく言葉が出てこなくて、会話に困ってしまうことがよくあるんです。だから、『1分で話せ』や『大人の語彙力ノート』など、話し方をテーマにした書籍をつくってきました。
これらがヒットしたのは、読者のニーズをよく理解しているからだと思います。「自分が知りたいこと=話すのが苦手な人が知りたいこと」なので、頭を捻らなくてもニーズを捉えられたわけです。
困っている人のニーズがわかるという意味では、弱みこそが編集者としての強みです。弱みを克服することもある程度は大切だと思いますが、担当できるテーマの幅を広げるためにも、「早く他の弱みを見つけなきゃ」と思っていたりもします。
—— 最後に、企画に向き合うすべての人々に向けて、メッセージをお願いします。
優れた企画づくりに大切なのは、「誰かに何かをしてあげたい」という気持ちです。難しいことを考えず、「こんなことをしてあげたら、あの人は喜んでくれるかもしれない」くらいの心持ちでいれば、企画の種が浮かんできます。
私もそうですが、せっかく考えた企画を否定されることもあると思います。でも、世の中はものすごいスピードで変化していくので、今日は通らなかった企画が、来年には大ヒットする企画になる可能性もある。
だから「今は」という言葉を枕詞にしてみてください。「今は売れない企画だ」「今は受け入れられない企画だ」と思うようにすれば、心が折れることもなく、自分の中に企画の種が積み重なっていくはずです。
■プロフィール
多根由希絵
神奈川県出身。新卒でプログラマーとして勤務した後、日本実業出版社にてムック本、雑誌を担当。SBクリエイティブ株式会社では、担当した『大人の語彙力ノート』(齋藤孝)、『10年後の仕事図鑑』(落合陽一、堀江貴文共著)、『1分で話せ』(伊藤羊一)の3冊が、2018年年間ベストセラー上位5冊に入った。ほか、『本音で生きる』 (堀江貴文)の37万部超をはじめ、ビジネス本、自己啓発本の領域で多数のヒット作を手がける。2022年発売の新刊、『22世紀の民主主義』(成田悠輔)は、「読者が選ぶビジネス書グランプリ2023」政治・経済部門を受賞。2023年3月よりサンマーク出版勤務。
文:井上 茉優
取材・編集:オバラ ミツフミ
取材・編集:くいしん
撮影:小山内彩希