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読書メモ:西研『しあわせの哲学』

最近読んだ西研さんの『しあわせの哲学』という本が自分の考えていることに関連して刺さったので読書メモとして残しておこうと思う。

はじめに:しあわせの条件

現代社会で人間は「個別化」しているというSNSの発達によって過剰なまでに繋がっているにもかかわらず、反対に自分の見たい世界だけで世界を構築できるようになってしまい「個別化」が進んでいる。(俗にいうフィルターバブル)そして、高度消費社会の中で人々は大きな目標を見失い何が「しあわせ」なのか分かりずらくなってきている。(大きな物語の消失)
そんな時代において本書は哲学を通して人間的な「しあわせの条件」を考えることを目標とする。

第1章:「生の可能性」とは

著者の分析によれば人間は「時間」を生きる存在だという。他の動物と比べても動物はいま・ここの出来事に本能的に反応するのに対して人間だけが「これから」の未来の出来事について思考し行動することができる。
それはいわば「可能性」を利用する力ともいえる。ここではキルケゴールを引用しながら「可能性」が人間にとって重要な要素であることが示される。
著者はこの可能性を単なる確率と区別して「生の可能性」と呼ぶ。人は「したい・かつ・できる」といった「生の可能性」を信じ、それをめがけて生きているという。
ここは自分が昨年から学んでいるベルクソンの「生の跳躍」と重なった。生命の可能性を体現している状態は躍動的で喜びを感じられる状態に近いだろうと思った。
著者は「生の可能性」の種類を3つに分類する。1つは「親しい人たちとの関係」、2つ目は「社会的な活動」、3つ目は「趣味や楽しみ」である。人間はこれらの享受と関わりを通じて「生の可能性」を体現する。
さらに著者は「生の可能性」の要素を2つ挙げる1つは「したい」という「欲望」でもう1つは「できる」のもととなる「資源・能力」である。ここではルソーを引用しながら人間の幸福には「欲望と能力」のバランスが取れていることが大切であることが示される。
ここで再び人間の特徴として「言葉」に注目する。人間は言葉によって空想の物語を作り出したり、過去や未来について物語を創造することができる。
人間は自身の「生の可能性」を気づかいながら、欲望と能力をめぐるドラマを生き、過去から未来に向かう「物語」を生きる存在である。

第2章:自分の「物語」をつくる

人間は時間を生きる存在であるとともに「物語」を生きている。ここではハイデガーの「死の先駆」という概念を紹介しながら自分に向き合うこと=「自己了解しつつ生きること」が喜びをもって生きることに繋がるという。
次の節ではバタイユの「蕩尽」の概念を導入しながら労働について考えていく。人間は未来に備えて労働(≒農業)するようになり、それに伴って我慢をする存在になったと同時にその我慢を解放したいという蕩尽の欲望も持つようになった。そして我慢や他人と協力する過程の中に人は喜びを見出すようになった。(ただし、ここでいう労働には全くの強制ではなく、自発的に構想できるものというエクスキューズが付く。)
労働による自分の物語の構築は今まさに自分が悩んでいることなので、その後の自分の物語の再構築の部分の話も含めて考えにふける部分があった。

第3章:「承認」を求めて生きる

人は何を求めて生きているのか。生命・健康の維持や収入の確保は活動するための大前提としてその先で人は何を求めているのか。ここではフッサールの「現象学」を取り上げながら人間が求めているものを「承認」と「自由」に見出していく。
この章では「承認」について大きく3つに分けて分類していく。1つは「愛情的承認」、親しい人たちによる無条件の承認。2つ目は「評価的承認」、親や他人から褒められることによる承認。3つ目は「存在の承認」、その人が持つ想い(考えや感情)に対する承認である。
これら3つの承認は前の2つがある程度バランス良くとれている中で3つ目の「存在の承認」がその中に含まれて行われることで次の章で取り上げられる「自由」も発揮しやすくなることが分析される。

第4章:「自由」の感触を得る

「生の可能性」の発露として自分は選択して自発的に行為すると人は「自由」の感触を得る。その具体的な場面として著者は「探索」、「創造」、「成長」の3つを挙げる。いづれにおいても自分が自分の人生(物語)をコントロールする主人公であるという感覚に繋がっている。
しかし、「承認」と「自由」はしばしば矛盾することがある。承認には義務が伴い自由が行動を制限するからだ。ここで承認と自由を調和させるやり方としてボウルビィの「安全基地」の概念を紹介しながら、まず存在の承認(安全基地)があり、自由な行動が起こりその中で価値が認められることで評価的承認に繋がっていく、承認と自由の両立の道が示される。
その具体的な方法として著者は「対話関係」に注目する。対話をすることで他者理解が深まり、自己理解と自分の物語の再構築が進むことで価値のあることが明確かしてくる。価値があることが分かればその価値観の中で承認と自由の繋がりのサイクルを回すことができる。(一例として「批評」によって「事そのもの」を探っていくことが挙げられている。)
お互いの想いを認め合う対話を通じて価値のあることを見つけ、それを目指して実践する。その実践を周りが批評しする過程を通して「事そのもの」を信じながら生きていく。そのような道筋にこそ承認と自由の両立があるのだと著者はいう。

第5章:人生を肯定するには

しあわせとは何か。幸福という言葉で表すならばそれは主に3つの意味で表される。1つは「理想の人生像」。もう1つは「幸福感」。最後は「幸福だという認知」である。これらによって自分の人生をしあわせ・幸福だと認知することはそのまま自分の人生の肯定に繋がっていく。
この章ではニーチェを取り上げながら彼がどのようにルサンチマンを乗り越え「永劫回帰」の思想によって人生を肯定するに至ったかが示される。著者はこの思想の「喜び」を思い出させる側面に注目する。人生から喜びを汲み取ろうとする意欲がある限り、私たちはしあわせな人生を生きるために努力することができる。そしてその時1~4章で取り上げられたことを活かすことができる。そのよな言葉で本書は締められる。

おわりに:つながりを育むこと

はじめにで取り上げた問題は人同士の「個別化」であった。そういった時代の中でどのようにしあわせな人生をおくるにはどおしたらよいのか本書を通じて考えられてきた。しかし、そこでやっぱり大事になってくるのはお互いに頼ったりいっしょに遊んだりする人間関係を育む必要性が見えてきた。
対話を通じてお互いの価値観をすり合わせていくことが「私とみんなのしあわせ」に繋がっていく。

感想

古代から哲学者たちは「対話」によって考えを深めてきた。本書の問いである「しあわせとは何か」ということも結局は「他者との対話」によって探っていくのしかないのだろう。
自分の人生を考えるに当たって「生の可能性」、「物語」、「承認」、「自由」、「肯定」といったことについて考えてみると「労働」との関わりも含めて今の上手くいっていない自分にも上手いバランスのとり方があるのではないかなと思った。そのためにはやはり他者との対話(読書も含むと思う)を通じて自分の価値観を探っていく必要があるなと思った。

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